生きる事自体が「無駄」
なので、無駄だと思える事に対して「無駄」と考える事自体が無駄
DIO様「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァーーーッ」
目次
前回の記事
生きる事自体が、なぜ「無駄」なのか?
ワイが世の中に生まれてきたのは偶然の結果
ワイは、人間になりたくて産まれてきたわけじゃない。
宇宙とか、宇宙の外にある「あの世」からコントロールされた結果、ワイが産まれてきたにすぎない。
一般世間で言われている
「私は〇〇するために生まれてきた」
なんていうキレイ事の感情は、持っていないっす。
宇宙レベルの規模で自分の存在を考えてみると?
今、ワイが生きている世界って、どうやって作られたんやろうな~?
140億年くらい前にビッグバンが起きて~
40億年くらい前に地球が作られて~
そこにある有機物が生命を持つようになり~
長~い年月を経て~
今の人類の形へと進化してきたのであ~る
…みたいな科学的な記述は、図書館に置いてある「子供向け科学」の本に書いてあるゾ~
宇宙ができて、地球ができて、生命ができて、人類へと進化してきた
…という事実は、科学的に説明できる。
(その科学的な説が正しいとは限らないけど)
だけど、
なぜ、ワイが人間として産まれて生きているのか?
という問いは、科学の立場では答えてくれない。
哲学「せやな」
自分が生きる理由なんて「無い」
ここまでを3行でまとめると
「あの世」から偶然、宇宙や地球が作られた
地球から偶然、人類の生命体が産まれた
自分は偶然、人類として生まれてきた
自分という生き物や、地球、宇宙の存在そのものが偶然の産物
(宇宙の外にある「あの世」の存在自体も偶然)
「あの世」のレベルで見れば、自分は「石ころ」と同じ存在
自分=石ころ
石ころ自体に存在する理由は無い
以上より、野獣先輩 自分が存在して生きている理由は無い。
「無駄」と考えることは無駄
自分が生きる理由は無いのだから
もう一度言うが、ワイは「石ころ」と同じ存在。
あ、「ゴミ」でもいいですね
で、「石ころ」とか「ゴミ」が存在する理由は無い
同様に、ワイも存在する理由は無い。
よって、ワイが「無駄」と思ったことに対して「無駄」と考える事自体に意味は無い。
自分が「あの世」に存在している理由が無いのだから、無駄な事を「無駄」と考えたってしょーがないでしょ?
(分かりにくい日本語で)すまんな
「これは無駄だ!」と批判する事自体に意味は無い
「無駄」と考えること自体が無駄
DIO様「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァーーーッ」
あっ、そうだ(唐突
「今思うと、あの経験は無駄ではなかった」
みたいな、老害的なフレーズあるよね。
過去に、自分が体験した「あの経験」自体に意味は無いっす。
「あの経験」なんて、そこらへんにある「石ころ」と同じっすよwww
存在する理由すら無い「石ころ」の経験が「無駄ではなかった」ってwwww
生きる理由は無い、人生そのものが「無駄」なんで
「ワシが若い頃の経験は、無駄ではなかった(キリッ」
と、ドヤ顔で言う事自体が「無駄」
ジョルノ「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァーーーッ」
自分が死んでも罪にはならない
自分が死んだところで、宇宙とか「あの世」が消滅するわけではない
「石ころ」が一個だけ消えたところで地球に影響を与えないのと同様に、自分が死んだところで世の中は変わらない。
ワイが存在する理由なんて無いから、今死んでもOK
若い人によくある
自分は存在意義が無いから死ぬわー
みたいな、承認欲求で満ちた衝動的な「自殺」ではない。
自分の存在そのものが無駄だから、いつ死んでもいいんじゃね?
という、人生諦めモードに入ったおっさんの考え方。
まぁ、人間は「寿命」という遺伝子でプログラムされた仕組みがあるんで、どっちみち死ぬんだけどwww
人間は、とにかく「無駄」を排除しようとする
「無駄」を排除した結果が、今の文明
多分、こう考えるのが一番早いと思います
原始時代に、木を効率よく切り倒すために石の先っぽを砕いて斧みたいな道具のを作っていた。
旧石器時代だったかな?
なんで、人間は斧を作ったんだろう?
そりゃぁ、木を「無駄」なく切り倒したいからでしょ。
そういう「無駄」を排除するために、たくさんの道具が作られた。
ワイは別に歴史ガチ勢じゃないけど・・・
小学生レベルの歴史知識があれば、これ位は予測できる。
でも学校で教わる歴史って、権力者の自慢話ばっかりなんだよなぁ~(呆れ
「無駄」は悪い事だと教わる
ワイが産まれて、今を生きている「理由」は誰からも教えてくれなかった
ワイが通っていた学校は、哲学者みたいな変人な先生が居なかったんで…
生きている「理由」なんて考えた事もなかったなぁ~
あ、でも
生きる事に意味がある!(キリッ
みたいな事は、先生から何度も言われ続けてきたなぁ~
今の学校教育は洗脳機関なんでwww
アナタが死んだら、周りの人が悲しむ
だから、自殺してはいけない(戒め
みたいな事も、何度も言われ続けて来た。
今のワイ「死ぬ自由は無いの?えぇ…(呆れ」
作文とか、スピーチの授業で
将来の社会を良くするために、無駄な事を無くしていく(キリッ
みたいに先生や大人が喜びそうな、優等生の文章をたくさん書かされたなぁ~
そりゃぁ、学生時代のワイも洗脳される訳やな…
今のワイだったら(会社の仕事以外は)こんな優等生的な文章なんて書かんわwwwwww
なぜ「無駄」を排除したがるの?
そっちの方が、人類にとって都合が良いから
一度、原始時代に戻って‥‥
たくさんの木を効率よく切り倒すためには、たくさんの斧みたいな道具と「人手」が必要!
だから、たくさんの道具と人間を確保する必要があったんですね。
その結果、たくさんの木を切り倒せました。
∩(・ω・)∩ばんじゃーい
でも、従来の木を切り倒す方法だとコストがかかる・・・
コストを更に削減できないかなぁ~?
せや、斧じゃなくて電動チェーンソーを使ったろか!
これなら、雇う人も減らせるな!
こうして、更に効率よく木を切り倒せるようになりましたとさ。
めでたし、めでたし
………というのが、学校の教科書(=洗脳教材)に書かれているありがちなパターン。
でも人間の欲望って、キリが無いゾ~
(今でも充分なんだけど)もっと効率よく木を切り倒す方法を常に探り続けている。
現代社会で言うと、スマホとかPCとかが代表例っすね。
もっと、もっと、もっと効率よく!!
無駄は極力、排除、排除、排除
↑をやっている生き物が、人間なんだよなぁ~
人間「何を、今更!」
「無駄」を排除できる人間を育てる
先生は(本心は嫌だろうけど)子供に
生きる事に意味がある!(キリッ
と、何度も言い続けている。
まぁ、先生も国から給料をもらって仕事しているからね、しょうがないね。
「無駄」を排除できる人口が増えれば、国の力も上がりますZE!
だから
「無駄」なのは悪い事だ!
と、子供たちに洗脳させたろか!
‥‥というのが、ワイの考え。
そもそも「学校教育」は明治時代に人工的に作られた制度
ヨーロッパから植民地にされるのは嫌だから「富国強兵」を進める必要がある
そのためには、子供たちへ(国にとって都合の良い)教育が必要だ!
ってなって学校教育が始まった。
このシステムが、ズルズルと現代まで引き継がれている・・・
という感じ。
現代だったら、
他の国との経済競争に勝つために、子供たちへ(国にとって都合の良い)教育をさせている訳ですね。
まぁ、日本は資本主義社会だから…(震え声
(事実上は、アメリカの従属国なんですがそれは…)
今後は、どう生きるか?
3行でまとめると?
・「〇〇は無駄だ!」と批判しない
・生きたい時に、生きる
・死にたい時に、死ぬ
終わり!閉廷!…以上!皆解散!
「〇〇は無駄だ!」と批判しない
早期リタイア(FIRE)のブログを見ると、
会社の△△の仕事は無駄だ!
という、会社叩きの批判が多い。
ワイも会社で働いているから
その気持ち、よ~く分かるゾ~
だけど、生きている事自体が「無駄」なのだから・・
人生に意味は無い
↓
働くことに意味は無い
↓
「無駄だ!」と思える仕事自体に意味は無い
↓
その仕事自体に対して「無駄だ!」と批判しても意味は無い
そもそも、お金を得るために会社で働いている訳でしょ?
だったら、就業時間内にやる内容なんてどーでも良くない?
8時間ずーっと居眠りして給料をもらえたら最高でしょ?
先ほども説明したけど、今の学校教育とか社会の中では
「無駄」なのは悪い事だ!
と、子供の時から洗脳されている。
それが大人になった今でもズルズルと引き継がれてしまう。
その結果
会社の△△の仕事は無駄だ!
って叩きたくなる大人が多い。
そこで、ワイから偉そうにアドバイスする。
「無駄」だと思う事は、本当にダメなのか?
仮に、「無駄」な事を全部省いてしまったら、生きる事そのものが無駄になってしまうよね~?
・食事は、無駄なのか?
・ウ〇コする事は、無駄なのか?
・呼吸する事は、無駄なのか?
生きている事自体が「無駄」だと考えれば、「無駄」だと思う事も受容できるんじゃないかな?(適当
生きたい時に、生きる
生きる事に意味は無い
なので、生きていても死んでもどっちでも構わない事になる。
でも、ワイが「今」生きているのは単に「生きたい」から。
そんだけ。
それ以外に生きる理由は無い!
「生きたい」と思っているなら、別に惰性で生き続けてええんやで!
「生きたい」にもかかわらず、無理して死ななくていいです。
とりあえずは
最低限でも、自分は死なない
までハードルを下げて生活していこう(提案
死にたい時に、死ぬ
生きる事に意味は無いんで、いつ死んじゃってもOK
そんなことを言うと
「ワイが死んだら、周りの人が悲しむよ!」
って、周りの人から言われるんだけど…
ぶっちゃけ家族でない他人の死なんでどーでもよくない?
家族以外の他人の死なんて、一カ月もすればキレイさっぱり忘れるし・・
え?親や子供が悲しむって?
自分が死んだら、自分の「意識」も消滅するんですが、それは・・・・
自分が亡くなるのと同時に家族の血縁関連も自動消滅しちゃうから、どーでもよくない?
パソコンで言うと、初期化して出荷状態に戻すような感じ
自分は死にたいのに、
「家族を悲しませないために生き続ける」
って、苦しくない…苦しくない…?
人生に意味は無いんで、家族の為に生きる必要は無いんですよ!
「家族の為に、自分は生きている!」
と考えているのであれば、それはアナタの「宗教」とか「信仰」ですよね?
たとえば、自分がガンになってしまって苦しんでいるとする。
その時は、さすがに
「生きたくない・・・」
「鬱だ、死のう」
ってなるんで、さっさと死ぬ方を選ぶ
とはいっても、別に尊厳死みたいな堅苦しい事はやらなくてOK
↓だけ守ればOK!
病院に行かない
試しに「尊厳死」でggってみたら
「公益財団法人日本尊厳死協会」
みたいな長ったらしい組合がHITするんだけど…
要するに、これから死のうとしている人から金を巻き上げる団体だよね~(嫌味
まぁ、自分が本当にガンになるような死ぬ危機に直面したら、考え方が変わるかもしれないけど。
これを現実社会で言ったら、炎上しそうな内容
生きている事は素晴らしい
もっと言うと「長生きすることは素晴らしい」のが、現代社会
日本に限らず、先進国でも共通する(と思う)
だって、老人たちが関心を持っているのは「お金」の次が「健康」だしなぁ~
だから
「いつ死んでも、ええんやで!」
という意見は批判される模様。
逆に
「死んだらダメ!」
って引き止めれられるのが今の人間社会。
法の上では「自由」があるのに「死ぬ自由」は無いんですかぁ~
と言うと、もっと批判されそうだけどなwww
人生に意味があると洗脳されている
今の日本だと
・野球の 大谷翔平 選手
・将棋の 藤井聡太 棋士
がトレンドの人かな?
たまにホテルに泊まってテレビを付けても、↑の2人ばっかり出てくるし・・・
で、野球とか将棋でキラキラ輝いている人を見ると
「あぁ^~この人は人生が充実しているんじゃぁ^~」
「それに比べて、ワイは…」
という思考に陥ってしまう
野球の大谷みたいに、自分も何かをして人生を充実させなくちゃ!
ってなった結果が、自己啓発書ですね?わかります?
あー、そういえば今年はオリンピックがあったね。
パリだっけ?
ワイはオリンピックがあった事すら忘れたまま夏休みをすごしていたけど。
で、オリンピックに出場している超人的な選手を見ると
「あの人、すげーwww」
「まさに〇〇するために産まれて来た人だ!」
って思っちゃうのよね。
「それに比べて、(ry」
まぁ、人間は他の人と比較したがる生き物だからね、しょうがないね。
多くの人は、色々な一流の人の情報を得てしまう。
今だとインターネットがあるから、洗脳度がより深刻に(ry
で、ワイは図書館で1000冊くらい本を無料で読んできたんだけど~
「人生は意味がある!」
的な記述をする著者が大半で、ゲンナリする・・・
生きる事に意味が無いのに、無理やり意味付けするのって苦しくないっすかー?
人間社会は常に競争にさらされているから、必ず落ちこぼれる人が出てくるわけで・・・
落ちこぼれた人は
生きる事に意味が無い=生きる価値が無い
ってなっちゃうよね?
なんでも意味付けようとするのが人間
学校とか会社では
「自分がやっている事の意味を考えながら作業しろ!」
って教わる。
確かに、意味が理解すれば作業効率が上がる。
(=無駄を排除できる)
だけど、なんでもかんでも無駄を排除してしまったら、生きること自体が無駄になっちゃうじゃん~
だったら、自分がやっている事自体に「意味は無い」と考えちゃった方が楽じゃない?
作業に無駄が出てしまって時間がかかるけど・・・
少なくとも「苦しみ」は和らぐ(と思う)
まぁ、学校とか会社は「時間制限」という縛りプレイをやっているんで、無駄を排除したくなる気持ちは分かる。
でも人生全体で考えれば、死ぬ時が「時間制限」
時間は気にしないで、自分のペースで作業をする。
作業に飽きたり、嫌になったら止める。
別に、作業自体に意味を求めなくていい。
生きる事に意味は無い
↓
自分のやっている事が「無駄」であっても良い
↓
「無駄」な事なので、意味を求める必要性が無い
ワイはこういう考え方なんだけど、どうも社会には受け入れられないらしい。
まぁ、100年後はワイみたいな考え方が「普通」になるかもしれない。
今の社会は、そちらの方へ向かっているみたいですし
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参考文献
(アフィリエイトでは)ないです
アラビア語ガチ勢の人が書いた本
自給自足ガチ勢が書いた本
お金に頼らず生きたい君へ 廃村「自力」生活記 服部 文祥 (著)