幼稚園児の時は絵を描きまくっていたけど、
大人になったら絵を全然描かなくなったなぁ~俺もな~
その理由を言語学の立場で説明してみる。
前回の記事
上記の記事内容を理解している兄貴なら
「大人になると絵を描かなくなる理由」
を言語学的に説明できると思う。(たぶん)
言語学以外の分野における考察
ネットでggった結果
「大人になると絵を描かなくなる理由」
で検索すると、大量にHITする。
つらくてイラストが全く描けなくなった私が、描くのがまた楽しくなり上達サイクルに入るまでに行った対処法
子供たちとポップを描きながら気づいた「大人が絵を描かなくなる」理由
多くの人の主張
私なりに整理してみた。
・他の人の評価が気になる
・絵を描くのが面倒くさい
・目に見えた物をそっくり描かなきゃ!というプレッシャー
・「絵が下手=ダメ」という思い込み
・絵描きは上手くなるもの
大人になるにつれて、人の目を気にしてしまう。
すると、他の人から
「自分の絵はどう見られているんだろう?」
という事ばかり気にしてしまう。
それが億劫で、絵を描くのが嫌になる。
だから、大人になると絵を描かなくなるんだ~
と言うのが,多くの人の意見。
言語学的に掘り下げてみる
他の人の評価が気になる
幼稚園、小学生、中学生・・・と成長していくにつれて、
他の人の考えている内容を「ことば」を使って想像できるようになる。
「ことば」の能力が上がったのは喜ばしい事だね。
だけど、「ことば」の能力があまりにも上がりすぎると
自分が見たくない世界まで見えてしまうの・・・
あー、他の人の評価なんて気にしたくな~い
と考えている時点で「他の人の評価」を気にしているんだよなぁ・・・
おまけに、人間が生きている限りは
「ことばで考える事」自体を止めることはできない。
常に「他の人の評価」を考えてしまうのって、辛いなぁ~
「絵が下手=ダメ」という思い込み
「ことば」の能力が上がるとは、すなわち
(幼児と比べて) 外の世界を細かく言語化して認知できるようになった
と言う事。
幼児よりも大人の方が、目に入ってくる情報量が多くなる。
その膨大な情報量を絵で書き表すのは、かなり負担になる。
だから、大人の人は自分自身が認知した外の世界の「一部」しか描き表せない。
すると「認知した外の世界」と「自分が描いた絵」の間で差(=ギャップ)が生じる。
自分の絵で、外の世界を「全く」描き表せていない!
と認知してしまう。
そんな絵なんて下手くそだ!ダメだ!
と落ち込んでしまう。
参考までに「駅メモ」に出てくる「末永てすと」を私なりに描いてみた。
言語能力が低い赤ん坊なら、上記どちらの絵でも同じように見えてしまうかもしれない。
だけど大人なら
「認知した外の世界(=ゲームのキャラクター)」と「自分が描いた絵」
の間で、ものすごく大きく差が出ているように見えてしまう。
自分の絵は「ことば」で認知した集大成なんだ!と思えば、ショックは小さくなる?
絵描きは上手くなるもの
じゃあ、外の世界を言語化して認知できた内容を丸ごと描いちゃえばよくね?
確かに絵を描くスキルを上げれば、より細かい情報も描写できるようになると思う。
でも、人間が言語化して認知した内容の「100%」を絵で描き表せるのだろうか?
前の記事でも紹介したが、そもそも「ことば」は曖昧なモノ。
曖昧に認知した内容って、どうやって絵に描き表せばよいのだろうか?
自分で完璧に描き表せたと思っても、
実は「良く分からない箇所はデフォルメにした」
っていう部分もあるんじゃないかな?
その「デフォルメにする」部分を極力減らすのが「絵が上手くなる」条件なの?
そもそも「絵が上手くなる」って一体何だろうな~?
私は美術とかイラストには詳しくないから・・・(震え声
これまでの内容まとめ
3行で言うと
・他の人からの評価を「ことば」で想像してしまう
・外の世界を言語化して認知した内容が多すぎて描ききれない
・認知した外の世界と、自分の絵とのギャップで落ち込む
上記が、言語学の立場での(私なりの)意見
異論は認める。
で、対策はあるの
【結論】(対策なんて)無いです
人間は「ことば」の能力がある。
だから外の世界をもっと認知したい!
という好奇心が湧いてくる。
だから絵を描く。(と言うのが私の考え方)
「絵を描く」と言う行為自体は、「ことば」の能力が無いとできない事。
人間に近いチンパンジーが、自主的に絵を描かないのは
「ことば」を持たないのが大きな理由なのかなぁ?
だけど、一方で「ことば」によって
絵を描きたい!という欲求が邪魔されてしまう。
「ことば」で絵を描くんだけど、
同時に「ことば」で絵を描く事を否定してしまう。
それが「大人になる」っていう事なのかなぁ
何も解決になっていない
「ことば」の能力を捨てれば、絵を描ける?
「ことば」の能力に障害がある人は絵が上手い。
だけど「ことば」の能力を一度身に着けると、絵が下手になってしまう。
という研究もあるらしい。
じゃあ、「ことば」の能力を捨てれば大人でも絵を描くようになる?
絵を描く事を「ことば」で否定しなくなるからね。
仮に一万歩譲って・・・
はい!キミはこれから「ことば」の力を失います!
っていう魔法にかけられて「ことば」を使えなくなったとします。
するとどうなるのか?
見た目は大人、頭脳は赤ん坊~
みたいなレベルではない!
まず、「理性」が働かなくなる。
「理性」は「ことば」で思考することでコントロールしている。
その「ことば」の能力が失うと・・・
「理性」のコントロール率は0%
すなわち、本能が100%出てしまう。
動物園の檻の中に居る動物みたいな状態になる。
そんな状況で、「好奇心」を持って絵を描けるのだろうか?
「ことば」が絵を描く動機付けになっているんだけど、
逆に「ことば」によって絵を描く事を拒んでしまう。
そして「ことば」の力を失うと、好奇心が無くなって絵を描かなくなる。
・・・と言うのが私の考え。
嫌なことは無理してやらなくていい
最初の「大人になると絵を描かなくなる理由」に戻る。
ここからは、言語学とは全く関係なくなるけど
私なりに意見を述べる。
そもそも「絵を描かない」人はダメなのだろうか?
別に絵を描かなくたって、生きていける。
(絵で食っていく人は除いて)
絵を描く好奇心も無いし、生きていく上での必要性を感じないのなら
無理して絵を描かなくていいんじゃないかなぁ~?
私は「外国語」とか「ことば」、あとは「旅行」「ゲーム」も好きだから
その事ばかりにリソースを割いてしまう。
その結果、「絵を描く」っていう選択肢が無いにすぎない。
もし私が「絵を描く」のが好きな人間であれば
絵を描く事にリソースを割くハズ。
その代わりに「外国語」とか「ことば」を学ぶ選択肢が無くなる。
人生は、常に選択の連続
何かを得ることは、何かを失う事
もし、選択するのであれば
「嫌な事」よりも「楽しい事」の方がいいよね?
・大人になっても絵を描くのが好きであれば、絵を描きましょうー
・大人になって絵を描くのが嫌になったら、描くのを止めましょうー
でええんやで!
(絵で食っていく人は除いて)