人はなぜ絵を描くのか?を言語学の立場で考察してみた

人間は「ことば」を使えるにもかかわらず、なぜ絵を描くんだろう?

と疑問に思ったので言語学の立場で理由を考えてみた。




本記事の元ネタ

参考文献

脳科学言語学の立場で、人間が「絵を描く」理由を考察した本がある。

ヒトはなぜ絵を描くのか 芸術認知科学への招待

 

私はびっしりと文字で書かれた本が苦手。

だけど、上記の本は「言語学」と関りがある分野なので
夢中になって最後まで読んでしまった。

おまけに脳科学の知識も付くから一石二鳥

本の概要

1~2年くらい前に読んだので、内容が間違えているかもしれないが・・・・
3行でまとめると以下。


・人間に近いチンパンジーが絵を描かない理由
・絵を描くときの脳の働き
・言語習得による絵を描く能力の変化


 

分野としては言語学を含むけど、メインは脳科学だと思う。

私は脳科学の知識があまりないので
言語学の分野に絞って「絵を描く」理由を考察してみる。

人が絵を描く理由

結論

「ことば」だけでは、外の世界を完璧に描写できないから

そう考えた理由

まず、言語学における「ことば」の定義を紹介する。


・でたらめに決まった「音」を持つ

・「音」を2段階に分けて分割できる


上記2つの性質を同時に満たす「音」を持つのが「ことば」
詳しくは以下を読んで、どうぞ。

ピカチュウの鳴き声は「ことば」ではない理由を言語学的に説明してみた

 

上記から、もう少し踏み込んだ内容に入る。


「ある概念」をグループ化して「ことば」と結びつけている。


 

・・・と説明しても「はぁ?」ってなるので、例を挙げる。

人間は常に「ことば」で外の世界をグループ化している

例えば「電車(でんしゃ)」という単語があるね?

 

「電車」という「音」を聞いたら、日本語母語の人は「電車」を思い浮かべるだろう。
だけど「電車」と聞いて「バス」を思い浮かべる人はいないよね?

人間は無意識のうちに「電車」と「バス」を「ことば」で区別している。

 

は?そんなの当たり前じゃん!?
って思った兄貴は哲学に向いていないようですな。

 

そもそも、「電車」はどこからどこまでの範囲をまとめて「電車」と扱えるのか?


・新幹線は「電車」?
・モノレールは「電車」?
・機関車は「電車」?


電車マニアなら、更に「あ、これは115系 1000番台ですねぇ」と区別できる。

 

逆に


・バスは「電車」ではない
・ジェットコースターは「電車」ではない
・観覧車は「電車」ではない


と区別して、「電車」のグループから除外している。

 

要するに・・・
どこまでが「電車」で、どこからが「電車」ではなくなるのか?
を、人間は区別する能力がある。

 

色々なタイプの電車という「概念」
「電車(でんしゃ)」という「ことば」を使って1つのグループにまとめている。

その「グループにまとめる」という行為を
認知言語学の分野では「カテゴリー化」と呼んでいる。




グループ分けできない概念はどうするのか?

先ほど説明した内容をもう一度挙げる。


どこまでが「電車」で、どこからが「電車」ではなくなるのか?


 

上記を言い換えると・・・
「ことば」だと「電車」と「それ以外の物」の境界が曖昧になるんだよね。

 

例えば、


モノレールを「電車」という「ことば」で伝わるのか?


 

上記の悩みを解決するためには、もっと多くの「ことば」で説明しないといけない。

「モノレール」と言っても、色々ある。
例を以下に挙げる。


・懸垂式モノレール
・跨座式モノレール


これだけでは、モノレールの大きさとか色が想像できない。
だから電車マニアは「115系 1000番台」みたいな暗号を使って区別する。

「ことば」だけでは外の世界を完璧に伝えれない

それでも以下の内容は「懸垂式モノレール」という「ことば」では伝わらない。


・モノレールの汚れ
・今走っているスピード
・乗客の数


 

上記の状況を厳密に伝えるためには


懸垂式モノレール、
〇〇系 △△△△番台、
製造××年、
現在の速度◇◇km/h
乗客●●人


・・・な風に、たくさんの「ことば」が必要になる。

 

だけど、専門的過ぎる「ことば」だと一般人には伝わらない。

もっともっと厳密に外の世界を伝えようとすると、それだけで本一冊になる。
いや、本一冊分書いたとしても相手には100%伝わらないと思う。

 

「ことば」は境界が曖昧な「グループ分け」をした単語から成っている。
その境界が曖昧な部分は、聞く人としては2通り以上の意味として解釈されてしまう。

こういう事象を言語学では「曖昧性(あいまいせい)」と呼んでいる。

 

「ことば」を使えば使うほど、「曖昧な部分」がどんどん露出してきて
結局何が言いたいのか分からなくなる。

「ことば」だけでは、外の世界を完璧に描写できないんだね。

「ことば」以外の手段で他の人に伝える

「ことば」は、自分の思い描くイメージを伝えたい!
という欲求から生み出された。

だけど、「ことば」だけでは限界がある。

 

だから人間は「ことば」以外の手段も使う。
その手段の1つとして「絵を描いて見せる」という手法がある。

人間は「ことば」では伝わらない部分を正確に伝えるために絵を描くようになったのではないか?と私は考えている。

絵を描くためには「ことば」の力が必要

「ことば」でグループ化できない物は認知できない

先ほど説明したけど、もう一回復習。

 

人間は「ことば」を使って「ある概念」をグループ化する能力がある。

上記を言い換えると・・・


「ことば」でグループ化できない物認知できない


という欠点が人間には備わっている。

 

例えば、電車に興味が無い人にとっては
色々なタイプの電車が全部同じ「電車」に見えてしまう。

電車なんで全部同じじゃないですか!? 画像検索

 

だけど、電車マニアなら「〇〇系 △△△△番台」みたいな「ことば」を使って色々な電車を「言語化」して区別・認知できる。

 

一般人は「電車」以上に詳しい単語を知らないので色々な電車が区別できない。
だから「色々な電車がぜーんぶ同じに見えちゃうwww」ってなる。

外の世界を認知できない物は描けない

もう一回挙げる。


「ことば」でグループ化できない物は認知できない


 

要するに、色々な電車を「〇〇系 △△△△番台」で区別できない人は
ぜーんぶ同じ「電車」として描いてしまう。

電車マニアの人なら、1つ1つの電車を区別して描くハズ。
(だって電車が好きだから)

 

人間は
「ことば」で外の世界を区別して認知できたモノだけを描くことができる
と言えるね。

「絵」は簡単な「ことば」で思考した集大成

これまでの主張をまとめると以下になる。


・「ことば」で伝えれない部分を「絵」で伝える
・「絵」を描くためには「ことば」でグループ分けしておく必要がある


 

上記だけだと、「ことば」で伝えれない部分は「絵」でも伝えれない
という事になっちゃうね。

 

だけど「絵」は「ことば」で言語化できない部分も描ける。

 

電車の知識が無い人が電車を区別して描く状況を考えてみる。

「〇〇系 △△△△番台」の知識がなくても・・・
電車をよ~く観察すれば違いが見えてくるハズ。

その「違い」に注意して描けばいい。


・あそこの部分は凸になっているな~
・あの窓が泥にかかって汚いなぁ~
・電線がたくさんあるなぁ~


 

と言う風に、簡単な「ことば」に置き換えて外の世界を「言語化」する。
そうすれば、同じような電車でも区別して描くことができる。

絵を描くためには言語能力が必要

「絵を描く」という行為は、一見「言語」とは全く関係が無いように見えてしまう。

だけど言語学の立場で考えてみると・・・
「絵を描く」ためには「ことば」を使って思考する必要がある

と言えそうだね。
(その主張が正しいかどうかは置いといて)

幼児の描く絵はなぜ下手に見えるのか?

3歳とかの幼稚園児の描く絵は、大人から見ると下手くそに見えるよね?
その理由は、これまでの内容で説明できる。

幼児は「ことば」を扱うための語彙力とか文法の知識が大人と比べて弱い。
だから外の世界を区別して言語化できる範囲が大雑把になってしまう。

 

しか描かない幼児が居たとする。

もしかしたら、その幼児は「顔」以外で人の体のパーツを表す単語を理解していないかもしれない。

人間を見ても「顔」以外が区別できない。
だから「顔」しか描けない。

 

もし「腕」とか「足」という概念を理解すれば
「顔」に付け足して腕と足を描くと思う。

人が絵を描くもう一つの理由

これまでの説明を3行で

まとめると以下になる。


・相手に伝えたい
・だけど「ことば」では伝わらない
・だから「絵」を描いて伝える


以上が、人が絵を描く理由だと考えている。

絵を描く根本的な理由

だけど、「相手に伝えたい」から絵を描くのだろうか?

もっと根本的な欲求があるんじゃないかな~?

 

私の場合は「もっと知りたい!」という好奇心から絵を描く。
それが「人が絵を描く」一番の理由だと思う。

「ことば」で言語化できない物を認知するのが面白い

人間は常に「ことば」で外の世界を「言語化」してグループ分け・認知している。

だけど、「ことば」だけでは描写できない箇所があるよね?
そういう箇所は、自分の頭の中でいくら「ことば」で思考しても認知できない。

 

だけど絵を描けば・・・
簡単な「ことば」に置き換えて外の世界を「言語化」して認知できるようになる。

その過程で「ことば」だけでは描写できない箇所が見えてくる。

それが面白いから、人は絵を描くのだと思う。

だからエロ絵がネットにたくさんupされる

「絵」を言語学的に考えると、上手い・下手は無い

この文だけ読むと、エロ絵師絵描きの人からSNSで
「絵が下手くそな奴の言い訳乙www」
って叩かれるだろうね。

 

まぁ、言語学は人間の感情を扱わないので
「絵」に対して「上手い」・「下手」の判定はできないんだけどね。

 

で、自分で描き上げて完成した「絵」そのものが重要ではない。

絵の「結果」ではなく、絵を描く「過程」何を認知できたのか?
が重要だと思う。

 

「ことば」だけでは、どうしても外の世界を認知できない箇所がある。
だから「絵」を描くことで「認知できない部分」を知る。

 

絵を描く過程の中で、自分の頭の中で

簡単な「ことば」を使って言語化して認知するのって面白い!

だから私は絵を描くのだと思う。

 

アラビア語も混ざっているけど、許してヒヤシンス

 

私が知りたかった事は、とても「ことば」では言い表せない。

だけど、「絵」を描く過程で以下の事を学べて楽しかった(小並感)


・自分が分からない箇所を知る
・知らない事を新たに学ぶ


絵が上手くなりたい人への一言

ネットとか絵描き関連の本とかでは、「絵が上手くなる」風潮が強いように思う。

 

だけど、そもそも絵描きの人って「絵を描くのが楽しい」から描いているんだよね?

他の人に「キャーキャー、すごーい!上手い!」

って褒められるために描いている訳じゃないよね?
岸部露伴「呼んだ?」

 

「絵が上達しない・・・」で落ち込んでいたりとか
他の人からの承認欲求を満たすために絵を描くことに疲れた兄貴は
本記事を思い出して♡

 

私は「絵をうまく書く方法」に関しては教えれない。
だけど絵を描く時の、頭の中の働きを言語学の立場でアドバイスできた(と思う)

 

絵を描くことが辛くなったら、
最初の頃にあった「絵を描くのが楽しい!」という状況を思い出して。

絵を描きながら、「ことば」を使ってどんな風に外の世界を区別・認知しているのか?
を考えてみると別の絵描きの楽しみが見つかるかもしれないよ!

【続き】大人になると絵を描かなくなる理由

大人になると絵を描かなくなる理由を言語学的に説明してみた