「食べれる」と「食べられる」どっちが正しいのか?を言語学の立場で説明してみた

「ら抜き言葉」を嫌う人が居るらしい。

(言語学の知識がある) 私としては「食べれる」と「食べられる」どっちでもいいんだけどな~

その理由を言語学の立場で説明する。




前回の復習

参考記事

【ポケモンSV】パルデア地方の偉大な言語学者は「文字」を発明した人です!

言語学における「ことば」の定義

以下2つを同時に満たせば「ことば」と言える。


・でたらめに決まった「音」を持つ

・「音」を2段階に分けて分割できる


「ことば」とは言えない例

以下のように、でたらめに決めた架空の「音」があったとする。


asfdfsldljfslaslsdfefeesiiss


 

上記の音を2段階に分けて分割できないものとする。

 

そうなると、「asfdfsldljfslaslsdfefeesiiss」は「ことば」とは言えない。
単なる物音じゃないかな?(適当

「ことば」は「音」から成る

「ことば」は「文字」によって構成されるのではありません!
念のため。

「食べれる」と「食べられる」どっちが正しいの?

結論

「食べれる」と「食べられる」どっちも正しい。

 

ただし、何かの能力で「時間」を停止させていない状況ね!

もし「時間」を停止させた状況だと話は変わる。

DIO様のザ・ワールド!

・・・で「時間」を止めた世界を考えた場合、
「食べれる」と「食べられる」どっちが正しいのか?

を真剣に議論しないといけない分野がある。

 

語学書とかがそうだね。
外国人が学ぶ日本語の本とかもそう。

 

語学書を書く場合、書いた時点で使われている「ことば」のルールを整理してまとめないといけない。

 


「食べれる」と「食べられる」どっちでもいいよ!


だと、日本語を学ぶ人が困る!

 

「食べれる」と「食べられる」どっちが適切なのか教えて欲しい!

 

だから語学書を書く人は

「あー、面倒くせぇ・・・」
「しゃーねー、日本語の文法ルールを参照して決めるかー」

と文句を言いながらも、今の時点での日本語文法を見て

 

「食べれる」と「食べられる」どっちが適切なのか?

を判断して語学書に書いてくれる。

ここまでのまとめ

「食べれる」と「食べられる」
どっちが正しいかどうかは、「ことば」を使っている世界の「時間」

止まっているのか?それとも動いているのか?

によって回答が変わってしまう。

 

時間が止まっているのであれば、
「食べれる」と「食べられる」どっちが正しいか決めないといけない。
でないと、その「ことば」を学ぶ人が困っちゃうからね。

 

逆に時間が動いている場合は
「食べれる」と「食べられる」どっちでもいい。

 

何か面倒くさいけど・・・
言語学では、「時間」がどうなっているのか?
を明確にしているのです!




「音」は「食べれる」と「食べられる」どちらでもOK!

常に「時間」が流れている状況を考える

ここからは「時間」は常に流れている状況を考える。
「時間」を止めるDIO様は帰って、どうぞ。

 

で、しつこいようだけど「ことば」の定義を改めて示す。


・でたらめに決まった「音」を持つ

・「音」を2段階に分けて分割できる


 

他の人に自分が伝えたい「意図」は「ことば」という道具で伝える。
その「ことば」は「音」で伝える。

 

その「音」はでたらめに決まる。

どんなでたらめな「音」であっても・・・
多くの人が「音」と「意味」を結び付けて覚えていれば「ことば」として機能する。

その「意味」と結びつける「音」は何でもOK

 

言い換えると、「音」をテキトーに変えちゃってもOK!
テキトーに変えた「音」であっても「意味」さえ結びついていれば「ことば」になる。

 

「時間」が動いているから「音」を変える操作がヤリ放題
ぐへへ・・・

え?「音」を変えちゃダメじゃないの?

と言う反論が来そうなので補足する。

 

最初の所で


「ことば」は「音」から成る


と説明したよね?

 

言い換えると「音」は他の人へ「ことば」を伝えるための手段でしかない。

「音」そのものは何でもOK

 

「eat」で「食べる」の意図と結びつけてもいいし
「asfdfsldljfslaslsdfefeesiiss」で「食べる」の意図と結びつけてもいい。

 

とにかく「食べる」という意味を表す「音」は決まっていない事が大前提になる。

 

なので「食べれる」と「食べられる」
どちらの「音」でも正しい日本語になる可能性を持っている。
(実際にどっちが正しいのかは、後で述べる。)

「音」を変えてはいけないものは「ことば」ではない!

もし「食べる」という意味を表す「音」が決まっているのであれば・・・
でたらめに決まった「音」ではなくなる。

 

例えば、ピカチュウの「ピカ~」という鳴き声がそう。

ピカチュウの鳴き声は「ことば」ではない理由を言語学的に説明してみた

 

「ピカ~」そのものが、ピカチュウを意味付ける「音」になっている。
その「音」はでたらめには決めれない。

つまり「ことば」とは言えない。

意味を一瞬で結びつけれる「音」であればOK!

「食べれる」「食べられる」と結びつけられる意味

改めて「食べれる」と「食べられる」を「音」として視覚化してみる。
(意味は一切考えないで!)


食べれる=tabereru
食べられる=taberareru


 

「食べる事が可能」という意図を「音」で他の人に伝える状況を考える。

私なりに「音」と「意味」の関連図を整理してみた。

例えば「taberareru」の「音」を聞いた日本語ネイティブの人は


・食べることが可能?
・「食べる」の尊敬語?
・「食べる」の受動態?


と連想する。(実際に私が思いついた内容だけど)

同じ「taberareru」という「音」で、複数の意味が思い浮かんでしまうよね?

複数の意味の中からどれになるかを判断する

英語を学んだ人なら分かると思うけど・・・
同じ意味を持つ英単語ってあるよね?

 

「好き」という意味を表すために


like
love


の2通りの「音」がある。

 

loveという「音」は「愛する」という意味もあるんだけど・・・

英語ネイティブの人であれば、


loveは「好き」「愛する」どっちの意味???


そんなもん、前後の文脈とか場の状況等ですぐ判断できるわ!

 

「tabereru」と「taberareru」も同様。

どちらの「音」でも前後の文脈とか場の状況で「食べることが可能」
と日本語ネイティブの人が瞬時に判断できるのであれば「ことば」として機能している。

 

よって、「食べれる」と「食べられる」どちらも正しい日本語である!

と言語学的に言える。
・・・というのが私の考え。

「食べれる」と「食べられる」どっちが滅びる?

瞬時に意味を判断できない「音」が出てくる

「ら抜き言葉」
という概念があるということは、すなわち


「食べれる」と「食べられる」どちらかの「音」で
「食べることが可能」と判断するまで時間がかかるようになってしまった


という状況を意味する。

 

もし「ら抜き言葉」という概念が無ければ
「食べれる」と「食べられる」どちらの「音」でも、同じ時間で「食べることが可能」と判断できていると思う。

意味を結び付けにくい「音」は滅びる

「ほろびのうた」ではない

 

例えば「食べれる」という「音」を聞いた日本語ネイティブの多くの人が


・・・?あー、もしかして「食べることが可能」と言う意味?


と言う風に判断が遅くなった状況になると、
「食べれる」という「音」は滅びつつある。

 

日本語ネイティブの人は、次第に「食べれる」という音が使われなくなり、「食べられる」という音が生き残る。

 

どっちの音が滅びるのかは誰にも判断できない

「食べれる」と「食べられる」
どっちの音が生き残るのか???

 

は、ネイティブの人でも分からない。

 

正確に言うと、言語学の力を借りて「近未来」の日本語における「音」がどうなっているか?
を想像できるケースもある。

 

だが、あくまでも「近未来」の話なので・・・

「食べれる」と「食べられる」
どっちの音が生き残るのか???

まで遠い未来の事は分からない。

 

あくまでも意味と結びつけられた「音」がどのように変化するのか?
要するに発音がどんな風に変わるのか?

と言うレベルまでしか分からない。

 

言語学のパワーで未来の「ことば」を調べようとしても限界はある。
(タイムマシンがあればいいんだけどね・・・)

 

なので、「食べれる」と「食べられる」どっちが正しいのか?
どっちの音が生き残るのか?は

 


分からん。すまんな。


というのが言語学の立場での結論。

 

どっちが正しいのかを議論する事に意味は無い

ネットとか本でよくある


「食べれる」と「食べられる」
どっちが正しいのか?


を必死に議論するのが一般人。

 


「食べれる」と「食べられる」
どっちの「音」が生き残りますかな?


と、のんきに眺めるのが言語学者。

 

「ことば」における「音」はでたらめに決めて良いんだから・・・

「食べれる」と「食べられる」どちらかが生き残ろうが、
日本語の「ことば」としては機能するし・・・

 

もしかしたら「食ばぬえ(tabanue)」の「音」で
「食べることが可能」の意味と結びつく可能だってある。

 

一般人がやっている


「食べれる」と「食べられる」どっちが正しいのか?


 

の議論は、日本語という「ことば」から見たら


「何やってんだあいつら・・・ 」


って呆れているだろうね。

なぜ「ことば」は変わるのか?

歴史が証明している

なぜ「音」とか「ことば」が変わる事を前提に話しているの?

 

と反論されそうなので補足する。

そう反論する兄貴は、学生の時に習った古文とか歴史の授業を思い出して、どうぞ。

 

古文の授業で1000年以上前の日本語を読まされたでしょ?
(紫式部とか清少納言が生きていた時代)

1000年前の日本語を読んでも全く理解できないでしょ?

 

私は古文を学ぶ意味が分からなくて大っ嫌いだったので、あまり勉強しなかった。
そのせいで古文は全く読めないまま卒業した。

言語学が好きだからと言って、古文が好きとは限らない良い例

 

では、今から150年くらい前の明治時代はどうだろうか?

歴史の教科書の挿絵で、明治時代に書かれた法令とかの文書を眺めた事があると思う。
(私は歴史が好きだったから、挿絵に落書きしたこと無いよ)

 

明治時代に書かれた日本語って、1000年前ほどではないけど「読みにくいなー」って感じなかった?
何かカタカナが多いし、書く方向がアラビア語と同じく右から左だし・・・

 

その「読みにくい」部分が、現在の日本語と比較して「ことば」が変わっている箇所なの!

「ことば」は常に変化するのは、歴史上で残された「文字(=音)」から証明できるね!

「ことば」の変化を止めることは可能か?

「ら抜き言葉」を嫌う人は、たぶん「ことば」の変化を嫌っていると思う。
じゃあ、「ことば」の変化を止めちゃえば良くね?

 

DIO様を呼び出して「ザ・ワールド!」して時間を止める
というイカサマは無しね!

 

「ことば」は人が使うものだから・・・


世の中に居るが人が「ことば」を使う事を禁止にすれば変化は止めれるだろうなー


では甘い!

 

「ことば」はすごいもので、「ことば」を意図的に禁止しようとしても
無意識のうちに頭の中で「ことば」を使って思考してしまう。

この記事を読んでいる兄貴だって、寝る時でも何かを考えているでしょ?
深い眠りの中で夢を見るでしょ?

 

一度「ことば」を習得してしまった人間は
「ことば」を使って外の世界を常に言語化して認識している。

その理由より、「ことば」を使って昔の事を思い出すこともできる。

 

小さい頃の記憶が無いのは、小さい頃に「ことば」を習得していなかったのが原因だと私は考えている。

 

幼児とかは「ことば」の力が弱いので、周りの世界をうまく言語化できない。
(だから幼児の描く絵を、大人が見ると下手に見えてしまう)

幼児時代は周りの世界をうまく言語化できなかったので
「ことば」で昔の記憶を引き出そうとしても記憶が曖昧になってしまう。

 

常に考えている「ことば」を使用禁止にできるのだろうか?

 

「ことば」の変化を食い止めたければ、「ことば」が使える人間を皆殺しにするしか方法が無いなぁ~
日本語の変化を止めたければ、日本語を母語とする人を皆殺しにする?

物理的には可能でも、社会的には無理ですねぇ~

 

という訳で、「ことば」の変化を止めることは(社会的には)不可能です!

「ことば」は常に変わる!が言語学の立場

 

「ことば」は常に変わるもの (←そこ重要)

 

「食べることが可能」と言う意味が分かれば
「食べれる」「食べられる」どっちの「音」でもいい。

 


「食べれる」「食べられる」どっちが正しい?


の議論自体に意味は無い。

 


「食べれる」「食べられる」どっちが美しい日本語?


も言語学では考えないことにしている。
「ことば」の美しさとか醜さとかいう「感情」は言語学では一切扱わない!

 

どっちが美しい日本語なのか知りたい兄貴は「心理学」の方を学んで、どうぞ。

 

以上で、本記事の説明(と言うか議論)は終わりにする。

【オマケ】言語学は難しい?

現実世界に「存在しない物」を考えるから難しい

・・・ここまでの説明で理解できた?
あまりにも抽象的で難しいかな?

すまん、これ以上簡単には説明できないんだ。

 

言語学とか心理学は


現実世界に「存在しない物」


を考える学問なので、難しくて当然!

 

どちらかと言うと哲学寄りかな~?

記事を書いた人の限界

私は一般人よりも言語学に詳しいけど、言語学の全ての分野を知っているわけではない。

言語学の中には、難しすぎて脳みその思考が止まる分野もあるから・・・(震え声


全くついていけん・・・・
アハハハハハハハハハハハハハハハ


ってなるよ。

 

だから、私の書く内容(=議論)に間違いがあるハズ。
もし間違いがあったら、許して♡

 

言語学に限らず、学問は

「正解が決まった事」

をやるのではなく

「考える事」

をやるものだから・・・(言い訳)

 

あぁ^~「ことば」を「ことば」で説明するのは難しいんじゃぁ^~

色々な言語で翻訳された「こころぴょんぴょん」を解読してみた