前回は「~があります」を紹介した。
これを流用して「~を持っています」と表現する方法を紹介する。
前回の続き
所有表現の例文
私はパンを持っています
Mae bara ‘da fi
マエ バラ ダ ヴィ
私はパンを持っています
直訳すると「パンが、私と共にある」
Mae(マエ)=~がある
まず、復習。
本来,Maeは「彼は~です」の意味を持つ動詞。
しかし
Mae+名詞+場所
の語順になると、Maeは「~がある」の意味になる。
bara(バラ)=パン
「バラ・ブリス(Bara brith)」という名前のパンがある。
これは、ウェールズのお菓子の名前。
その「バラ(Bara)」が「パン」の意味になる。
ちなみに「ブリス(brith)」は「プツプツの点」の意味らしい。
‘da(ダ)=~と共に
英語の前置詞「with」と同じ。
本来は「gyda(ギダ)」
しかし口語になると、省略されて「’da(ダ)」になる事が多い。
fi(ヴィ)=私
本来、「私」を表す単語は「i(イ)」
しかし、前置詞「gyda(ギダ)」や「’da(ダ)」の後に「i(イ)」が来ると
「 fi(ヴィ)」に変わる。
なんで所有を回りくどく表現するの?
一般人からされそうな質問
普通の人から,
「なんでウェールズ語の所有表現はストレートに言わないの?」
と質問されそうな気がする。
その質問に対して、言語学的な立場で回答してみようと思う。
恣意性(しいせい)で説明できる
「恣意(しい)」を簡単に言うと「自分勝手な考え」の意味になる。
人間が使っている「言語」は「恣意(しい)」の特徴が備わっている。
その現象を、言語学では「恣意性(しいせい)」と定義している。
(なんか難しいね・・・)
日本語「私はパンを持っています」をウェールズ語で言うと
「パンが、私と共にある」
日本語・ウェールズ語両方とも「恣意性(しいせい)」に基づいた表現になっている。
言語によって、所有の表し方は色々あるけど・・・
最終的には、相手へ「私は~を持っています」と伝えることができる。
だから、ウェールズ語の「パンが、私と共にある」
という言い方を言語学的に見ると、別に「回りくどい表現」ではない。
「回りくどい表現」だと感じる理由
普通の日本人が「言語のしくみ」をある程度熟知している言語は
・日本語
・英語
の2つだけだろう。
その他の外国語も熟知していれば、語学マニア
日本語、英語両方とも所有表現は
「私は~を持っています」
で表現する。
だから所有表現は「私は~を持っています」であるべきだと思い込んでしまう。
そんな一般人が、突然ウェールズ語の
「パンが、私と共にある」
と言う表現を見せられたら、奇妙に見えてしまう。
だから「回りくどい表現」と感じてしまうだろう。
ほかの言語での表現方法
ロシア語の場合
ロシア語も、所有を表す時
ストレートに「私は~を持っています」と言わない。
「(人)のところに~がある」
と表現する。
ウェールズ語の「パンが、私と共にある」
と同様に、ロシア語も主語が「私」にならない。
アラビア語の場合
アラビア語も、所有を表す時
ストレートに「私は~を持っています」と言わない。
「(人)の元に~がある」
と表現する。
ウェールズ語の「~が、(人)と共にある」と近い考え方になっているね。
色々な言語を学ぶのは面白い!
ウェールズ語やロシア語、アラビア語に限らないんだけど・・・
英語以外にもいろいろな言語を学んでみると
言語には色々な表現方法があるんだなーって気づく。
だから語学は面白い!
まとめ
ウェールズ語の話から脱線してしまったけど、
3行でまとめる。
・所有は「~が、(人)と共にある」の形で表す
・「私と共に」は「~’da fi(ダ ヴィ)」と書く
・「’da」は「gyda(ギダ)」の省略形
ウェールズ語講座その18へ続く