自分が語学をやっている「理由」なんて無くてもええんやで

過去の私は、色々な外国語を学んでいた。

その言語を学ぶ「意味」「目的」「理由」「意義」などを考えていた時期が何度もあったけど・・・
結局は自分を苦しめる事に気付いた。




前回の記事

役に立たない外国語は学んじゃぁイカんのか?

生きる意味?そんなものはない

人生に意味は無い!

(生きている意味なんて)ないです。

という事を、30歳を超えたおっさんになって初めて理解した。

 

関羽「生きる意味?そんなものはない」

 

そんなものはない – ピクシブ百科事典

私が生きる意味

自分の体にある生命を維持する器官がまだ正常に動いているから、生きているだけの事。

 

「生きている事」そのものに「理由」は無い!

 

宗教っぽく言うと


神が、私を生かしている。

だから私は生きている。


こう書くと、カルト宗教っぽくなるwww

なぜ生きる意味を考えてしまうのか?

人間は、考える生き物だから

終わり!閉廷!…以上!

 

語学に限らず、何かをやっている最中に

「あれ?オレは今、なんでこんな事をやっているんだ…?」

と頭の中で疑問が出てくる。

 


今やっている事は、人生で大切な事なのだろうか?

そもそも、こんな事をやっている自分は生きる価値があるのだろうか?


と、色々と自問自答する。

 

人間って、「自分で」生きる意味を考えてしまう哀れな生き物なのです・・・

未来の事は考えてはいけない(戒め)

不安になるから

人間は、「ことば」を使って未来の事を想像している。
そのおかげで、未来に起こる不幸を回避できる。

だけど、それはあくまでも「確実に起こる出来事」だけ。

 

ほとんどの未来の内容は、不確定
いくら予想しても分からない

 

そんな、訳の分からない未来に対して
対策をいくら考えまくっても不安になるだけ。

「意味」や「理由」は未来の出来事

ある外国語を学ぶ「意味」や「理由」を質問された場合、
ほとんどの人は以下のよう回答すると思う。


・外国人とペラペラ会話したい!
・外国の本を読みたい!
・外国の本を日本語へ翻訳したい!
・日本の本を、外国語へ翻訳したい
・外国語を使った仕事をしたい!


 

そういう「~したい!」というのは、未来の自分の姿だよね?

 

未来の自分は「~になる!」
そのために外国語を学んでいるんだ!

 

と考えて今、語学をやっている「意義」を持とうとしている。

で、自分が望む「未来の自分」になれましたか?

私は、語学を始めて10年以上になる。

その中で、ハッキリ分かった事がある。

 


外国語を学び始める時の自分が考えていた

「なりたい自分」

になれた事は一度も無い!


 

べ、別に謙虚じゃないからね!

マジで「なりたい自分」になれた事なんて一度も無いよ!

 

なぜならば、「なりたい自分」になる前に語学を辞めているから。
要するに「挫☆折」

 

私は色々な外国語を学んでいるけど、
所詮は凡人の語学マニア止まりだよ~ん(てへぺろ☆

「なりたい自分」は結局は、なれない

「外国語で~できる自分になる!」
こういう理想を掲げて語学をやる。

 

だけど、どこかで必ず挫折して語学を止める。
そして、他の外国語とか、別の趣味に浮気する。

 

そういう挫折経験を何度も体験したから、
理想の自分にはなれない現実を私は知っている。

 

未来の事を考えても、確実に「なりたい自分」になれるわけではないのね。

果たして、本当に「なりたい自分」になれるのか・・・?
という不安が付きまとう

 

だから、未来の事は考えてはいけない(戒め)




語学をやる「理由」「意味」は考えるな!

なんでも意味付けようとする人

自分がやっている事に対して「意味」を持たせようとする。

確かに「意味」を持たせた方が、モチベが上がるかもしれない。
自分がやっている事の効率が上がるかもしれない。

 

だけど、「意味」を考える行為は「苦しい」という諸刃の剣。

 

「意味」を持って行動したとしても、未来の「なりたい自分」になれるとは限らない。
むしろ「なりたい自分」になれない事の方が多いと思うんですけど(名推理

逆に考えるんだ!「意味」を考えるな!


逆に考えるんだ

外国語を学ぶ「理由」「意味」は考えなくていいさ

と考えるんだ。


 

自分が〇〇語を学んでいる理由なんて、分からなくていい。
他の人に説明できなくていい。

 

「〇〇語を学ぶ事によって、▲▲できるようになる」

みたいな、カッコいい事なんて考えなくていい。
「▲▲できるようになる」前に挫折しているからwww(嫌味)

 

それよりも、自分が外国語を学ぶ「意義」なんて持たない方が気が楽になる。

外国語を学ぶ「理由」は分からない方が良い

「俺は、〇〇語の専門家になるんだ!」

と野望を抱いている人ほど、すぐに挫折する傾向がある。
(自分も含めて)

 

それよりは


自分が〇〇語を学んでいる理由?
え~っと・・・、まぁ、なんとなく。
今は、〇〇語を学ぼっかなー?っていう気分


 

みたいに、テキトーな気分で語学をやった方が精神的に楽になる。
どうせ挫折するんだしwww

うわっ…私の語学力、低すぎ…?

語学に意味を持たせようとすると

「うわっ…私の語学力、低すぎ…?」

とマイナス的に考えてしまう。

 

外国語を学ぶ「理由」が無ければ、自分の語学力なんて気にしないよねwww

自分の語学力は、結局は後付け

私は色々な外国語の記事を書いているけど

「私は外国語オタクでーす」
ってアピールするために外国語を学んだのではない!

色々な言語で翻訳された「こころぴょんぴょん」を解読してみた

なんとなく語学を始めてみたら、面白いやんけ!

で、色々な言語に手を付けるのが快感である事に気付く(変態)

特にマイナー言語を学ぶと自尊心がアップする(ような気がする)

 

でも、結局は色々な言語に手を出して100%挫折する
まぁ挫折しても、過去に学んだ言語の知識がちょぴっとだけ残るんだけどね。

 

その「ちょこっとだけ残った語学の知識」
を必死に思い出しながら、外国語に関するブログ記事を書いているだけ。

 

その結果、普通の人なら絶対にやらないような多言語の語学講座を書くようになった。

↓ヘブライ語

古典ヘブライ語の強ダゲシュの読み方~ד(D)

↓アラビア語

アラビア語の横棒の途中に文字を追加する方法

ブログ記事を書くために外国語を学んでいるのではない

なんとなく語学を続けていくうちに


・この文法事項をブログ記事化したら面白いんじゃね?
・他の人なら、絶対に書かない内容www
・まぁ、どうせ誰も読まない超ニッチな内容だけどwww
・学んだことの復習も兼ねて、記事を書くかー


と、頭の中で妄想する。

 

そして
「よーし、〇〇語の□□をテーマに、ブログ記事を書くぞー」
って決心したら、記事を書く。

 

記事を書くのは楽しくて時間を忘れて夢中になる。

気付いたら、いつの間にか語学の記事をネットに投稿しちゃったよ・・・

っていう感じ。

 

ブログ記事を書く「理由」なんて無いし、
外国語を学ぶ「理由」なんて持っていない。

 

なんとなく外国語の知識が増えるうちに、そのスキルをブログ記事化へ向けただけ。

 

ブログを書くために外国語を学んだ。
だから自分の語学力がアップした!

ではない!断じて。

自分が今まで積み重ねてきた語学力

自分が今、持っている語学力は
「語学力を上げる」という目標を持って、語学を続けたからではない!

 

「理由」もなく、なーんとなく外国語を学ぶ。
そして挫折する。

 

また、学びたくなったら、その外国語に戻る。
復習とかブログ書きたいな~っていう欲が湧いてきたら、外国語に関する記事を書く。

 

それを繰り返したら、なんとなく語学力が付いただけ。

 

結局、語学力は「後付け」なのねwww

外国語を学ぶ理由は無い方が幸せ

語学をやっている「意味」なんて知らない方が
し あ わ せ

し_あ_わ_せ (しあわせ)とは【ピクシブ百科事典】 – pixiv

 

なぜならば、未来の「~できる自分」になれない事に対する不安が無いから。

 

自分の語学力を伸ばさなきゃ!
と必死になって語学を頑張らなくてもいい。

 

自分の今の語学力で し あ わ せ

 

こういうぬる~い感覚で、外国語と付き合っていこう!(提案