何度も挫折を繰り返した言語こそ、アナタにふさわしい言語です!

世の中には「もう挫折しない!●●語の勉強方法」という情報で溢れている。

まるで挫折する事が悪い風潮のように思われている。

だけど、語学では挫折を繰り返したほうが良い。
その理由を説明する。




語学で挫折しない方法

まず、世の中にあふれている「語学で挫折しない方法」的な記事を2つ紹介する。

言語学と心理学

なぜ語学の勉強に挫折してしまうのか?

要するに、

外国語を学ぶときは意味を理解した上で学んだほうが良いよ!

って言っています。

だから、文法を学ぶ前に単語の意味を覚えましょうね!

中国語と台湾

私の中国語の勉強法〜もう挫折しない!心がけている3つのポイント〜

台湾にこだわりすぎると、語学書の幅も狭くなる。

しかし、台湾や中国全体を見れば、語学書の幅が広がる。
意識をちょこっと変えるだけで学びやすくなるかもしれない。

でも、マイナー言語の場合はどうあがいても学びやすくならない

なぜ挫折を繰り返したほうが良いの?

まず、結論から述べる。

 

自分に合った言語が分かるから!

 


えー?
自分に合った言語って、探すモンでしょ?

なんで挫折を繰り返す必要があるんですか?
(呆れ)


 

・・・そう考えている人は、まだ語学歴が浅い!

甘い!甘い!

 

「自分に合った言語」って言うのはね~
言語の理論とか文法に詳しくなってもダメなの!

実際に学んで、何度も挫折を繰り返さないと見つからないんだよ・・・
(星の王子様風に)

語学歴8年の私の体験談

挫折だらけの語学ライフ

今思えば・・・
私が語学を自主的に始めてから8年が経ったなぁ~

(学生時代の英語、大学の第二外国語は除く)

 

この8年間を改めて振り返ると・・・

 

あぁ~思い出したくない~

色々な言語を学んでは、挫折を繰り返したような記憶しかない。

他の人に話すのも恥ずかしい・・・

 

8年間ず~っと学んでいた言語なんて1つも無いな。

 

この8年間で、軽く50回以上は挫折したと思うわ・・

私の語学力と挫折回数

「8年間で、50回以上挫折した」という経験は、今思えば貴重な宝物。

 

今の私の語学力と、挫折回数を整理すると以下になる。

 

「挫折回数」は「言語学習をバッタリ止めた回数」でカウントした。

ただし、英語の場合は「強制的に勉強させられた」ため、
挫折回数カウントの対象外とした。




語学力と挫折回数の分析

語学力と挫折回数は比例する

先ほど挙げた表をよぉ~く見ると・・・

自分の語学力と挫折回数はなんとなく比例している
(ように見える)

 

語学力が高い!

 

を言い換えると、挫折を何度も繰り返してきたって事。

語学力がものすごく高い人は、誰もが挫折を積み重ねているハズである。
(と私は信じている)

自分に合わない言語は挫折回数が少ない

順位が一番下の「その他」の言語は、ハッキリ言って私にとっては「どうでもいい言語」
つまり、私にはその言語が合っていないって事。

 

4年前に中国語を止めて、次に勉強したのが現代ギリシャ語だった。
だけど、一カ月も経たずに勉強を止めた。

あれから4年経ったけど、一度も現代ギリシャ語を勉強していないな。

 

そういう「どうでもいい言語」は挫折回数が1~2回と少ない。

 

お試し感覚で、ある言語をかじった。

その結果、自分に合わない事が分かった。
だからキッパリ勉強を止めた。

三日坊主に近い感覚。

 

あれ以来、一度もその言語を学び直していない。

たまに学び直す言語もあるのだが・・・

改めて学び直しても、心の底から

「面白い!楽しい!」

と感じない!

だから、また三日坊主で止めてしまう。

 

・・・このような言語は「自分には合わない言語」だと一発で分かる。

 

私にとって、合わなかった言語は20~30個位ある。
当然「現代ギリシャ語」もその中に含まれる。

 

念のために申し上げますが、「現代ギリシャ語」自体は悪くない。

メジャーな英語、中国語、おフランス語であろうが、
現代ギリシャ語であろうが、
マイナーなエスキモー語とかアムハラ語、ハウサ語であろうが、

みーんな平等だよ!

私は「現代ギリシャ語」という言語に興味を持てなかった人間。
それだけの事。

自分に合う言語は挫折回数も多い

「現代ギリシャ語」は、私にとっては合わなかった。
だから挫折回数も1回で済んだ。

しかし、現代ギリシャ語を止めた後は「ロシア語」を学び始めた。

その「ロシア語」はどうだろうか?

 

不思議なことに、ロシア語は何度も挫折を繰り返している。
そして、今もロシア語を学んでいる。

今まで5回以上も挫折したぞ!
(別に褒め言葉ではないが・・・)

 

今の私の「現代ギリシャ語」「ロシア語」の語学力を比べてみても、一目瞭然。

「ロシア語」の方がすっごく得意な言語だと一発で分かる。

 

「現代ギリシャ語」の方はキレイさっぱり忘れた。
「エフハリスト」とか「イネ キネジカ」しか覚えていない。

一方、ロシア語はたくさんの文を覚えている。
難しい格変化とかも、ちょこちょこ覚えている。

なんで今もロシア語を学んでいるの?

と聞かれたら、私は以下のように答えるだろう。

 

「ロシア語が好きだから」
「好きな理由なんて知らん!」

 

私は学生時代にどうでもいい女の子に「恋」をしてしまった。

なぜ「恋」をしてしまったのか?

その理由は私も分からない。
「恋」をした理由を言語的に説明できない。

ただ、その女の子に「恋」をしただけ。
それだけの事。

 

その「女の子」が「ロシア語」に置き換わっただけ。

 

「ロシア語に恋した」

 

という表現はロシア語学習者や語学マニアにしか伝わらないだろう。

 

私にとっての「ロシア語」との付き合いは長い。
(たったの4年間だけど)


1.ロシア語を1~2か月くらい必死に勉強する

2.やっぱり難しいから、やーめた!

3.そして別の言語を学ぶ

4.半年~1年が経った

5.ふと「あぁ~ロシア語も学びたいんじゃぁ^~」と心の中でときめく

6.さっそく、部屋の隅っこに置いてあったロシア語教科書を探す。

7.教科書を開いてまたロシア語例文を読む。

8.1.に戻る(←そこ重要)


という訳で、今もロシア語を学んでいます。

メインで学んでいる言語がポーランド語なのは内緒

実際に挫折しないと自分に合う言語が見えてこない

「好きだ!」と思う言語が自分に合うとは限らない

語学は恋愛と似ている。

 

「●●語が好きだ!」

 

そういうスローガンを掲げて●●語の勉強を始める。

だけど、そういう言語に限って冷めるスピードも速い。

 

「最初から好きだ!」っていう言語は一時的な感情にすぎない。

実際にその言語を学ぶと嫌な事もたくさん分かってくる。

「単語が覚えれない」「文法が難しすぎる」

 

そういう嫌な面ばかりに目が行ってしまう。

すると、いつのまにか「●●語が好きだ!」という感情が薄れていく。
要するに「●●語に冷めた」

 

だから一瞬で挫折する。

そして他の言語を学び始めるのがオチ。

 

もう二度と●●語を学ぶことは無かった・・・

まるで「恋の成就」と「失恋」みたいだなぁ~

自分に合う言語は消去法で絞られる

もう一度表をお見せする。

上記の表で挙げた言語「以外」にも20~30言語を学んできた。

 

だけど、それらの言語は一カ月も経たないうちに挫折した。
(酷い場合、一週間で挫折したケースも・・・)

こんな風に色々な言語で挫折していく。

その経験が積み重なると、残りの言語が絞られていく。

 

世界の言語は4000個もあるのだが・・・

実際に学ばれている言語は100言語くらい。
日本語でも学べる言語に絞れば50言語くらいかな?

50言語の中で、私は20~30言語で挫折してきた。

すると、残った言語は25個程度になる。

 

その中のどれかの言語が自分に合っている言語かもしれない。
もしかしたら、語学という趣味自体が自分に合っていないのかもしれない。

 

・・・と言う風に、
実際に挫折すると今まで見えていなかった「世界」が見えてくるんだよ。

残された言語に目を向けよう!

私が生まれて初めて「ロシア語」を学んだ時は

 

「ロシア語が好きだ!」

 

という感情だった。
恋愛で言えば「恋の始まり」

 

しかし、残念ながら2~3か月くらいで止めた。
要するにロシア語に「失恋」した。

 

でも、半年後にロシア語を再び勉強し始めた。
理由は分からない。

恋愛で言えば「よりを戻した」状態かな?

そして、また短期間で挫折する。

 

その繰り返し。

 

そういうロシア語は私にとっての「残された言語」

つまり、ロシア語は私にとって合っている言語
(のように思われる)

 

今の私は「ロシア語」に対して

「恋している」

と言うよりは

「愛している」

という表現の方がピッタリなのかもしれない。

 

結婚して、子供を産んで、家庭を築いている家族の「愛」のように、
私は「ロシア語を愛してる」

 

語学で何度も挫折を繰り返す。(=失恋)

それにもかかわらず、今でもしつこく勉強し続けている言語こそ、
自分に合っている言語だと思います。(=愛)

まとめ

語学における挫折は、決して恥ではない。

むしろ、たくさん挫折すべきである。
特に語学歴の浅い人ほど、挫折してほしい。

 

挫折を繰り返せば繰り返すほど、自分に合わない言語がだんだん見えてくる。

そして、残った言語も徐々に見えてくる。

 

その「残った言語」をひたすら「愛する」という語学スタイルはどうでしょうか?

 

え?「言語を愛する」という感情すら分からない?

うーん、「言語を愛する」の説明が難しいねぇ~

また次の機会にこの記事を書くことにしますか。
(ブログにアップするとは言ってない)