私は絵を描く才能が無い。しかし語学の才能はある!

世の中にはものすごい優秀な人がゴロゴロ居る。
そういう人を目にするたびに、自分の才能の無さを痛感して嫌になってしまう。

でも、他の人の才能なんて自分の人生にとってはどうでもいい。
私の才能を例に説明しますね。




私はどんな才能がある人なのか?

私が頑張って絵を描いてみた

7~8年ぶりに人物の絵を描きました。

真ん中にある怪物は誰・・・?

 

一応、モデルは「ポーランド語たん」で描いた

 

全然似てないじゃん!!

 

という訳で、私は絵を描く才能が無さそうである。

絵の周りにいろいろな言語で書いてみた

もう一度私が描いた絵をお見せする。

真ん中にある怪物(ポーランド語たん)の上下に注目してほしい。

 

「ポーランド語たん」という日本語を5言語で書いてみた。

上から並べると


上側
ポーランド語
ロシア語

 

下側
アラビア語
中国語
韓国語


 

上記の5言語は、私ならネットや本で調べなくても「全部」読める。

 

なぜならば、5言語はすべて私が独学で習得したから!

 

更に、他にも学んだ言語は30言語以上あるけどね。

何度も挫折を繰り返した言語こそ、アナタにふさわしい言語です!

 

という訳で、私は語学の才能があるみたい。

特にアラビア語ができると、周りからは秀才と思われる

語学マニアが描いた絵の紹介

私は絵が得意ではない

私は外国語取得が得意な人間だと思う。

 

でも、絵を描く才能は無い!
幼稚園児の方が絵が上手いとすら思ってしまう。

 

そんな私の下手くそな絵をお見せする。




絵のモデル

「星の王子様」という本に書かれている挿絵を見て、絵を描いてみた。

 

「星の王子様」のポーランド語版が以下。

 

本の中身はこんな感じ。

 

語学マニアは文字の部分(ポーランド語)しか見ない。

 

しかし、これだと視野が狭くなっちゃう!

なので、たまーには絵師の立場になって挿絵の方に注目してみよう!

 

という訳で、ポーランド語学習の休憩中にスケッチしてみた。

「星の王子様」の登場人物の絵

全員ではないが・・・

「王子様」6人の「大人」の絵を頑張って描いてみた。
まず「王子様」の絵から紹介する。

 

「王子様」

 

自己中心的な「大人」

 

自惚れの強い「大人」

 

アルコール中毒の「大人」

 

会社経営者みたいな「大人」

 

社畜と化した「大人」

専門家になった「大人」

語学ノートの隅に描いた絵

次は、私が「星の王子様」をポーランド語で読むときに使ったノートをお見せする。

 

たま~に、ノートの隅っこに絵を描きました。
(メインはポーランド語学習なのだが)

 

蛇に飲み込まれる動物

帽子?ボアに飲み込まれた像?

↑の断面図

 

羊その1

 

羊その2

 

羊その3+羊を入れる箱

 

バオバブで一杯になった小惑星

 

王子様が愛する花

 

花についたてを立てる王子様

 

花と会話する王子様

 

花に水をやる王子様

 

花を襲う虎

 

火山を掃除する王子様

 

地球の砂漠に到着した王子様

 

砂漠に生えていた花

 

5000本のバラ

 

草の上に寝っ転がって泣いている王子様

 

キツネと会った王子様

ちなみに、キツネをポーランド語で「lis(リス)」と言う。

最初、私はポーランド語の「lis」が「リス」なのか???
と勘違いして読んでいた。

リスでもキツネでも物語の上では大差ない

 

キツネを狩る猟師

 

キツネとのお別れ

 

のどが渇かなくなる薬を売っている商人

 

井戸から水をくむ王子様

 

毒ヘビに襲われる王子様

 

これから星へ帰る王子様その1

 

これから星へ帰る王子様その2

 

木が倒れるようにくずおれた王子様

「崩れ落ちた」ではなく「頽(くずお)れた」
「崩れるように倒れる」という意味

私はこのブログ記事を書いて、初めて「くずおれた」の単語を知りました・・・

ちなみにポーランド語訳だと「木が倒れるようにゆっくりと倒れた」と表現している。


Osunął się powoli, jak pada drzewo
オスノゥ シェン ポヴォリ, ヤク パダ ドジェヴォ

osunąć – Słownik SJP


 

↑と同じ場所

私の絵に対する分析

一言で言うと?

おもしろかった(小並感)

私が描いた絵は、原本と全然似ていない!

絵だけに注目すると?

ざーっと、私のノートに書かれた絵だけに注目すると・・・

 

一つ一つの絵は20~30秒くらいで描いたものなんだが、

他の人だったらもっと似せて描けるだろうなぁ~
と思ってしまう。

語学ノート全体に注目すると

確かに私の絵は酷い。

 

だけど、絵だけではなく言語(ポーランド語)も併せて見てみると・・・

 

こんなに複雑なポーランド語を理解して読めるようになったんだなぁ~スゲェなぁ~

 

と私は思う。
(自分で自分を褒める事は大切なんですよ!)

たったの「半年」で「星の王子様」を外国語で読める人がいるらしい

「星の王子様」で書かれている文章自体は小学生レベルだと思う。

幼稚園児だと読むのが難しいんじゃないかな?
(適当)

 

そういう「小学生レベル」の文章を「外国語で読む」だけでもかなりキツイ。

中学校・高校の「6年間」で英語を勉強した人でも、
「星の王子様」を英語で読める人全体の1割もいないと思う。

 

しかし、私は「英語」以外の言語「ポーランド語」を学んで「半年」になる。

たったの「半年」で「星の王子様」をポーランド語で読むレベルに達したのだから、改めて自分はすごいと思う。

 

私は絵の才能が全く無い!

だけど、語学の才能がある人間だってはっきりわかんだね。

他の人の才能なんて見ないほうが良い

本記事で一番言いたい事

「私は語学の才能がある人間だ!」
が、本記事で一番言いたい事ではない。

 

一番伝えたい事は、「私は絵の才能が全く無い!」等のマイナス面である。

プロ野球選手は野球「しか」できない

プロ野球選手を思い出してほしい。

その人は野球がものすごく上手い。
だからプロになって一億円とか稼いでいる。

 

だけど、その選手の野球「以外」の面を見てみると・・・

野球以外にものすごく才能がありそうな人なんて聞いたことが無い。

なぜなら、プロ野球選手は野球しかできない人間なのだから。

ある分野で優秀すぎる人は、その他の事は何もできない

野球という分野に限らず、他の分野でも同様に考えてほしい。

 

例えば「語学」という分野だけに注目すると・・・

私は「優秀な人間」になる。

 

だから問題なのだ!!!

 

あまりにも「語学」に特化しすぎると、ほかの事が何もできなくなる!

 

私は「絵を描く」の才能が無い!
と何度も言った。

 

だけど、他にも才能が無い分野はいくらでもたくさん見つかる。

むしろ「語学」以外の分野は全部「才能が無い」と言っちゃってもいいくらい。

私は体育の授業が大っ嫌いだった

私は今までの人生の中で、何度も挫折を味わってきた。

 

特に他の人の「才能」を痛感させられるのが、学生時代の「体育」だった。

私は体育の授業が大嫌いだった。
なぜならば、他の人の「運動神経」という「才能」を痛感させられるから。

 

体育の授業では、どうしても他の学生と競い合ってしまう。
例えば100メートル走では、「タイム」でその人の身体能力が数値化されてしまう。

 

運動ができる人にとっては100メートル走の「タイム」という数値が好きなんだろうけど・・・

わたしは100メートル走の「タイム」が大っ嫌いだった。

 

総統閣下「100メートル走のタイムなんて大っ嫌いだ!」

おっぱいぷるんぷるん

大っ嫌いだ!とは – ニコニコ大百科

私の100メートル走の「タイム」は、いつもクラスの中でビリだった。
他の人の走りとか「タイム」なんて一切見ないようにしていた。

 

私は「運動神経」という「才能」が無い人間として、この世に生まれてきたのだろう。

私の才能が無い面

「運動神経」に限らず、「絵を描く」才能も無い。

他にも思い浮かぶ限り、たくさんある。

 


・現実の友達を作る才能が無い

・ネットの友達を作る才能が無い

・彼女を作る才能が無い

・他の人の気持ちを理解する才能が無い

・会社で昇進する才能が無い

・料理の才能が無い

・他の人と討論する才能が無い

・自分でお金を稼ぐ才能が無い

・一般人の考える「遊ぶ」という才能が無い

・文学を読んで作者の気持ちを理解する才能が無い
(※語学と文学は全く別の分野です)

・今の世の中の情報・流行を知る才能が無い

・音楽の才能が無い

・芸術を鑑賞する才能が無い

・動物を飼う才能が無い

・植物を育てる才能が無い


 

…とまぁ、自分の才能の無い面を色々書き出してみた。

これ以上書くと悲しくなって泣いてしまうのでここまでにしておく。

「才能が無い面」を書き出してみて

わたしはこれまで色々と「自分に才能が無い面」を書き出してみた。

すると、分かってきたのが・・・

 

才能が無い=興味が無い

である。

 

ああ~自分は才能が無いダメ人間なんだ~

を言い換えると、

 

単に興味が無いだけ

という事になる。

 

私は「運動神経」という「才能」が無い。

だけど、そもそも私は普段からスポーツしない。
スポーツなんて学校を卒業して以来、一回もやっていないな。

語学書では「私はテニスをします」がお決まりになっている

 

私は「運動神経」を高めることに興味が無い。

私が興味があるのは「語学力」を高めることだけ。
それ以外の分野はどーでもいい。

「運動神経」なんてどーでもいい。

学校を卒業して以来、運動と言えば通勤くらい
全然運動していない

 

だから「運動神経」は学生時代の頃よりも落ちているのだろう。

だけど「運動神経」が落ちようが、上がろうが私にはどうでもいい

 

「どうでもいい」=「興味が無い」=「才能が無い」

それは絵描きでも、他の分野でも全く同じ。

他の人の「才能」なんてどうでもよくない?

私よりも語学ができる人はゴロゴロいる。
ネットでちょっと調べれば、自分より優秀な人なんてたくさん見つかる。

だからと言って、自分の語学の才能の無さで嘆く必要は無い。

 

プロ野球選手だってそうでしょ?

野球以外はできない人間。

自分よりも語学が優秀な人は、言い換えるとほぼ語学しかできない。

 

だけど、私はどうだろうか?

語学は(一般人から見れば)才能がある。

そして、私は語学だけの人間ではない。

語学以外で、自分に才能があるかな?
っていう面を考えると、ちょこちょこ見つかる。

 


・ブログを続ける才能がある

・テトリスの才能がある

・一人で海外旅行に行く才能がある

・友達が0人でも気にならない才能がある


 

私がちょこちょこ才能があるかな?
っていう分野はこれくらい。

 

自分よりも語学が優秀な人が、
必ずしもブロガーだったり、テトリスのガチ勢とは限らない。

むしろ「語学ガチ勢」+「テトリスガチ勢」の人間の方が珍しいのではないだろうか?

もしかしたら、「ポーランド語ガチ勢」+「テトリスガチ勢」の日本人は私だけじゃないかな?
(適当)

テトリスにハマったのがキッカケでポーランド語を勉強する人がいるらしい

 

もしかしたら、自分よりも語学が優秀な人の中には、絵も優秀な人が居るかもしれない。

 

だけど、「語学ガチ勢」+「お絵描きガチ勢」の才能がある人のせいで落ち込む必要は無い。

だって、私はお絵描きに興味の無い人間だから。

まとめ

他の人の「才能」で比較しない心の持ち方が重要だと私は思っている。

 

私には、私の「才能」がある
(語学、ブロガー、テトリス、海外旅行・・・)

 

自分よりも語学が優秀な人には、その人の「才能」がある
(語学+自分には興味の無い分野)

 

「才能」を語学だけで見ると、どうしても他の人と比べてしまう。

だけど、「才能」を語学だけでなく他の分野全体で見ると・・・
自分と、他の人が持っている「複数個の才能」は一致しない

だからほかの人と比べれない。

「ほかの人と比べれない」っていうのが人間にとって大切な事だと思う。

もっと可愛いポーランド語たんの絵を描けないかなぁ~?

私はお絵描きに興味が無い。

つまり「絵を描く才能」が無い人間だと言った。

 

・・・だけど、自分が熱心に学んでいる言語の「擬人化イラスト」を私が描いてみた。
(要するに萌え絵が描きたかった)

 

その結果をもう一度紹介する。

ポーランド語たん「うわぁ・・・これは酷いですね・・・たまげたなあ。」

 

「絵を描く才能」がある人にポーランド語の「擬人化イラスト」を描いて!
ってお願いすれば一発だろうけど・・・

 

私は他の人が描いた「ポーランド語たん」ではなく,
自分で描いた「ポーランド語たん」がどういう絵になるのか知りたい!

 

「絵を描く才能」がある人は、どうせポーランド語なんて分からないだろう。

だからポーランド語の知識がある自分自身で、可愛い「ポーランド語たん」の絵を描いてみたい!

 

どうやら、私は「絵を描く」事にも興味を持ったようだ。

ポーランド語の勉強もいいんだけど、お絵描きの勉強も始めようかなぁ~
(適当)