「あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~」の日本語対応手話を分析してみた

ニコニコ大百科のコメント欄に「手話(しゅわ)」があったので,
言語学の立場で考察してみる。




「あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~」とは?

色々な言語で翻訳された「こころぴょんぴょん」を解読してみた

「日本語対応手話」と「日本手話」の違い

引用元となった手話

以下のコメント950~952の手話を引用した

あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~について語るスレ

 

上記の手話は、厳密に言うと「日本語対応手話」だと思われる。
「日本手話」ではない。

日本語対応手話とは?

日本語の語順と一対一で対応させた手話
聴覚特別支援学校(=ろう学校)の授業とか、講習会で使われているのはこっち

日本語から派生した、副次的な言語と言えるかもしれない。

日本手話とは?

日本語の語順とは一対一で対応しない手話。
耳が消え来ない人(=ろう者)同士の会話で使われる。

日本語とは全く別に独立した言語と言えるかもしれない。

【補足】指文字とは?

日本語のひらがな(アイウエオ)に対応させた指の形。

目が見えない人が使う「点字」のように
日本語と一対一で対応させた記号。

先ほど説明した2つの「手話」とは別物です!

 

「手話」は、音声言語よりも、語彙が少ない。

人名・地名・学術用語など専門的になる用語を「手話」で表現しきれない場合、
指文字で代用することが多い。

ニコニコ大百科のコメント欄にあった解説内容

聞き手から見た視線の定義

「手話」は、「音」ではなく「視覚」で他の人へ意図を伝達する言語。

ジェスチャーとしての「言語」ではなく、
れきっとした言語学的な意味での「言語」です。念のため

 

「音」の場合、話し手や聞き手の向きは気にしなくていい。
しかし、「視覚」の場合は向きを気にする必要がある。

まぁ、手話ネイティブの人は極端に離れていなければ
話し手と聞き手が真横でも手話は通じるのだが・・・

 

上記画像は、手話の教科書でよく出てくる視線と同じ。
話し手と聞き手が真正面の状況を仮定している。

この場合、聞き手から見た「あ」の指文字を表している。

※指文字と手話は別物です。

「心」の手話

 

他の手話イラストとして、以下がある。

手話 気持ち/心 feeling, heart

 

「心」の手話を箇条書きすると以下になる。


1.右手の人差し指だけ伸ばして、他の指は握る
2.人差し指を、話し手の胸へ向ける
3.その状態で指を左下へ移動させる
4.3.の状態で円を描きながら、2.の位置へ戻る


手話を言語で説明するのは難しい・・・
動画を見た方が絶対に早い。

「大分市こころをつなぐ手話言語条例」について

上記のYoutube動画の3秒辺りで
指で円を描く動作がある。

それが「心」の手話

「ぴょんぴょん」の手話

「ぴょんぴょん」の手話を箇条書きすると以下になる。


1.左手を開いて、手のひらを上に向ける(上記画像では下に向けている)
2.右手はピースの形にする
3.ピースを逆さまにする
4.右手を左手の上で2回跳ねる


ピースを逆さまにした右手は、人間の両足を表している。
これを2回跳ねる動作をすることで「ぴょんぴょん」と表現している。

手話を知らない人から見たら、ただのジェスチャーに見えるが・・・
上記は、言語学的な立場で見た言語としての「ぴょんぴょん」です。




手話のちょっとした歴史

まずは用語の解説から

以下の2つの違いを理解しよう!(提案


聴者 = 音が聞こえる人
ろう者 = 音が聞こえない人


 

聴者の99.114514%の人は手話をどうやって使うのか知らない。
だから、ろう者が使う手話がジェスチャーに見えてしまう。

だけど、ろう者は言語の認識で手話を使っている(と思われる)

昔は手話が禁止だった

昔のろう教育では、相手の唇の動きを見て意味を理解する「口話」の方が
手話よりも優れているとみなされていた。

手話は、単なるジェスチャーでみっともない!
という偏見が強かった。
だから学校内では手話が禁止になっていたらしい。

現在は手話が許容されているが・・・

時代が進むにつれて「手話は言語」の認識が一般社会へ浸透してきた。
今の聴覚特別支援学校(=ろう学校)で、手話を禁止にしている学校はほぼ無いかと思われる。

 

でも、聴者から見ると手話で会話しているろう者が奇妙に見えてしまうんだよねぇ・・・

最近「グローバル化」とか「多様性を認める事が大切だ!(キリッ」
みたいな主張が強まっているが、それは外国人向けだよね~

同じ日本人の(ろう者を含めた)障害者に対しても
グローバル的な視線を持って欲しいものだ。

手話は言語と言えるのか?

結論

手話は言語学的な立場から見た「言語」と言える!
と私は思う。

ただし、条件付き

現在の言語学では、全ての言語は「音」から成る事を前提にしている。
要するに、「聴者」から見た言語学

 

手話は「音」ではなく「視覚」を元にして意思疎通している「ことば」

なので「聴者」から見た言語学の立場で見ると
手話は「言語」として扱われないのかもしれない。

 

手話を「例外」として「言語」と見なす考え方もあるが・・・

それだと


言語はすべて「音」から成る!


という前提条件を考え直す必要が出てくるだろう。

「ろう者」から見た言語学で考えてみると?

「聴者」から見た言語学における「言語」の定義を箇条書きすると以下になると思う。


・最小単位は「音」
・恣意性を持つ
・線状性を持つ
・二重分節性がある


上記の用語の詳細については、以下記事を参考。

絵描きにおける「言語」を「言語学」の立場で説明してみる

 

まぁ要するに、上記の4条件を満たせば「ジェスチャー」ではなく「言語」と言える。

 

だけど、どうも聴者における「言語」は必ず「音」から成ると思い込んでいる。

だけど「ろう者」の立場で考えると・・・
「言語」は必ず「音」から成るとは限らないんじゃないかな?
という考え方もある。

常識的を疑え!っていうヤツね。

「音」はあくまでも伝達する信号にすぎない

「音」は、口から発した空気の振動。
それが、聴者の耳に入って、初めて言語として認識する。

 

だけど、ろう者は口から発した空気の振動を認識できない。
つまり「音」が聞こえないって訳ね。

だからろう者は言語が使えない!
とは限らない。

 

ろう者は耳が聞こえない。
だけど、他の人と意思疎通をしたい!
という欲求がある。

だから、残された感覚機能を使ってコミュニケーションを取ろうとした。
ろう者の場合、耳が聞こえない代わりに目を使って意思疎通している。

代表的な手段として以下が挙げられる。


・手話
・口話
・筆談


 

「音」という信号の代わりに、別の信号で意思を伝えている。
「手話」の場合、手の動きや顔の表情等を「信号」としてコミュニケーションをしている。

コミュニケーションの起源を「信号」と考えれば、
信号を発する手段は「音」でも「視覚」でも、それ以外の手段でもOK!

信号を出して相手に伝わるなら「嗅覚」とか「触覚」でも良い。

 

モールス信号の音が聞こえないなら、
「音」の代わりに「光」で代用すれば言語としての役割を果たせるね。(極端な例ですが)

こころぴょんぴょんの和文モールス信号を言語学的に分析してみた

 

だから、言語学的における言語は「音から成る!」
にこだわらなくて良いと私は思う。

手話は「音」以外の要素を言語学的に満たすのか?

3要素の復習

手話は以下の3要素を満たすか考えてみる。


・恣意性を持つ
・線状性を持つ
・二重分節性がある


絵描きにおける「言語」を「言語学」の立場で説明してみる

結論から言うと、上記3つの要素を満たす。
よって、手話は(音から成る点を除いて)言語と言える。

手話は恣意性を持つ

手話で使われる「手の動き」や「顔の表情」自体に意味はない。
単に信号として視覚的に相手に伝えるだけ。

例えば、先ほど紹介した「心」の手話は
手の動作自体に意味は無い

ジェスチャーとして見た場合、「胸にある何か丸いモノ」と見えるかもしれない。
こう考えた場合、ジェスチャー自体に意味を持ってしまう。
よってジェスチャーに「恣意性」は持たない

 

一方、手話で見た場合、「心」というブレない定義がある。
「心」以外の意味は(比喩を除いて)一切認めない。

「心」の手話の定義はろう者コミュニティーの間で勝手に決まる
そして、地域や時代と共に「心」を表現する手話も勝手に変化していく。

よって、手話は「恣意性」を持つと言える。

 

実際、日本語対応手話ができるろう者であっても
アメリカ手話言語(ASL)の単語は1つも理解できない。
(と言うか、どこで区切るのかも理解できない)

なぜならば日本やアメリカの手話自体にそれぞれ独自の「恣意性」を持つから。

よって、日本の手話ができる人がアメリカの手話を理解する為には
アメリカ手話の1つ1つの単語を地味に覚える必要がある。

手話は線状性を持つ

手話は一般的な音声言語と同様、話の始めと終わりがハッキリしている。

音声言語の場合、以下になる


話の始め=音が出る時
話の終わり=音が消える時


絵や水面に浮かび上がった波紋のようにブワーって広まる信号ではない。
よって音声言語は線状性を持つ。

 

同様に手話の場合、以下になる。


話の始め=手、指、表情の動作開始
話の終わり=手、指、表情の動作終了


線状性は、音声言語と同じ特徴を持つ。

よって、手話は線状性を持つと言える。

手話は二重分節性を持つ

音声言語の場合で例を挙げる。

「これはリンゴです」

 

これを一回分解すると

「これ」+「は」+「リンゴ」+「です」

 

もう一回分解すると

「(こ)(れ)」+「(は)」+「(リ)(ン)(ゴ)」+「(で)(す)」

 

のように、最小の音単位として分解できる。
二回分解できるので、音声言語は二重分節性を持つ。

 

手話の場合、先ほど挙げた
「あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~」
で説明する。

一回目の分解は

「心が」+「ぴょんぴょん」

 

もう一回分解すると以下のように分割できると思う。

 

手話の最小の単位(=形態素)は、日本語の「あ」「い」「う」「え」「お」
のような定義があると思われる。

手話の形態素の例として、以下の動作がある


「あ」=人差し指だけ伸ばす
「い」=時計回りに回す
「う」=手を開いて上に向ける
「え」=手を逆さまのピースにする
「お」=2回はねる


※「あいうえお」は例。指文字ではありません

 

手話の形態素は、音声言語における形態素とは別の定義が必要になるが・・
とりあえず手話は2回に分解できる。

よって、手話は二重分節性を持つと言える

まとめ


・手話はジェスチャーとは別の「ことば」

・日本における手話は「日本語対応手話」「日本手話」がある

手話指文字は別物

・手話は「音から成る」以外の面では言語と言える