絵描きにおける「言語」を「言語学」の立場で説明してみる

語学マニアの私が、久しぶりに絵描きをやってみた。

参考にした絵描きの本で
「絵なら文字が無くても他の人に自分の意思を伝えれる!」
との記載があった。

上記の主張が気になったので、私なりに意見を整理してみた。




私が使った絵描きの本

参考文献

棒人間図解大全 MICANO (著)

どんな本?

棒人間でお絵描きする本。
そんだけ

絵描きの本でよくある表現

ありがちな「言語」アピール

上記の参考文献だと,以下のような記述がある


・絵なら文字が無くても誰かに自分の意思を伝えれる!

・絵はコミュニケーションのためのもう一つの言語!


なんでそんな事に反応するの?

言語学の知識があるから。

その為、言語学以外の分野で「言語」の記載があると余計に考えすぎてしまう。
(語学マニアあるある1)

 

更に言うと「言語」についてネットで検索すると、
検索結果が「プログラミング言語」になって鬱陶しい。
(語学マニアあるある2)

 


・それって、言語学における「言語」と言えるの?

・まず、「恣意性」は・・・ありますな。

・「線状性」は無いなー

・「二重分節性」は・・・うーん、難しい


 

私の脳みそは、こんな感じです。

絵だけで「経済」の意図を伝えれるのか?

日本語や英語は使用禁止

「経済」という日本語がある。

「経済」の意味は置いといて
アナタは日本語や英語などの言語を使わずに「絵」だけで他の人に「経済」の意図を伝えれますか?

私が「経済」として描いた絵

「絵は果たして言語なのか?」を体感するために、私自身で描いてみた

絵の周りにアラビア語や韓国語があるが、
日本人の 99.114514% の人は読めないので、単なる絵にしか見えないだろう。

 

んで、私の絵は他の人にはどう映るのだろうか?
「経済」以外にも、以下の解釈がありそう。


・金(かね)
・金(きん)
・ビットコイン
・政治
・流通
・日本の動向
・世界の動向
・景気
等々


絵が上手くなれば「経済」と伝わるの?

絵だけで、他の人に「経済」である事を一発で分からせる為には高度な画力が必要だ!
そう考える人もいるかもしれない。

 

試しにネットで「経済」と検索して画像検索してほしい。
そこで出てきた画像は、「経済」にマッチするトップレベルの写真とかイラストだろう。

そういうレベルの高い絵だけで、他の人へ「経済」と伝えれるのだろうか?

 

トップレベルの絵だと、余計に
「日本の経済における景気」
みたいに意味を深く考えすぎてしまうかもしれない。

 

それよりも「経済(けいざい)」の単語を発音する、もしくは書いた方が早い。
アラビア語や韓国語を母語としている人なら、絵を描くよりも外国語で伝えた方が楽。

という訳で、絵は完全な言語とは言えなさそう。

絵描きにおける「言語」の主張は正しいのだろうか?

結論

「言語学」の分野における「言語」の定義から見た場合、
「絵=言語」の表現は誤り

 

絵は、あくまでも言語のように意思を伝えれる「比喩的」な表現
というのが「言語学」の認識。

「言語学」以外の分野ならオッケーかも?

「言語学」の分野から外れた場合、
「絵=言語」の表現が正しいかどうかは、その分野による。

 

例えば、美術の分野における「言語」の定義が「絵で人に意思を伝えれる」のであれば、「絵=言語」として文章を書いても別に間違いではない。

それに、私は美術の専門的ではないし・・・

じゃあ、どう描けば「言語」になるの?

以下の2ステップだけで、アナタの絵が言語学の分野における「言語」へと変化する。
(「進化」ではないです。念のため)


1.「恣意性」「線状性」「二重分節性」の性質を持つ絵を描く

2.1.の記号を社会的に浸透させる


 

1.は簡単。
個人で紙とペンを用意すれば、誰でもできる。
(言語学の知識がある事が前提)

2.のステップが非常に困難。
二人以上の家族であれば、絵が最低限の「言語」になるのだが・・・
あれ?これ段階だと「ピジン言語」じゃね?

「恣意性」とか「線状性」って一体何なの?

「恣意性」とかは、言語学の分野で出てくる専門用語。

3行で言うと以下。


「恣意性(しいせい)」=意味は自分で勝手に決めるんだよ

「線状性」=読むルートが決まっている 艦これの羅針盤

「二重分節性」=必ず2つのステップで分解できる


上記3つの性質を持てば、自分の意図を「無限」に伝えることができる。

 

私の絵だと20個までの意図しか伝えれないよ~
という「絵」は言語ではないからね!

一般の人が考える「絵」が「言語」でない理由

「経済」の意図を伝えるために描いた絵を再度示す。

まず、「恣意性」の立場で絵を見ると・・・
初めての人が見ても「コインの交換」をしている事が分かってしまう。

(言語を学んでいない、意味を教えていない)他の人に意味を推測されたらダメなの!
よって、絵に「恣意性」は無い。

 

次に「線状性」

絵の場合、見る場所はどこからでもOK
左から見てもいいし、右から見てもいい。
読み終える場所は真ん中でもいいし右上でもいい。

つまり、絵を見るスタート地点とゴール地点は決まってない。
よって絵に「線状性」は無い。

 

最後に「二重分節性」

絵はどうやって分解しようか?


・棒人間
・コイン
・矢印
・建物
・グラフ


これで、一回分解できた。
さらにもう一回分解できないといけない。

棒人間なら、「頭」「腕」「足」のパーツに分解できるだろう。

しかし「コインの絵」はどうやって分解すべきか?


・表と裏をはずす?
・縦の線を切る?
等々


・・・と、人によって解釈が異なる。
分解のルールも定まっていない。

「コインの絵」はこれ以上分解できない(と思われる)
つまり、2回に分解できないから「二重分節性」を持たないと私は思う。
(絵の描き方によっては「二重分節性」を持つ可能性もあるのだが)

 

と言う訳で「絵」は言語学で考える「言語」ではなさそう。

絵だって「無限」の意図を伝えれるじゃん!

その通り!

だけど、絵と言語における「意図」全く別物だと私は思う。


絵 → 抽象的な現実世界を記号化・具体化して意図を導く

言語 → すでに具体化されている記号から抽象的な意図を導く


ここまで来ると話が難しくなるし私の専門外の分野になるので、一旦置いておきましょう。




自分の描いた絵を言語にする方法

まず「恣意性」「線状性」「二重分節性」を満たす絵を描く

私がテキトーに描きました。

 

上記の絵の描き方は、私が自分勝手に決めた。
よって「恣意性」を持つ。

 

また「絵」は下から上へと読むと私が勝手に決めた。(上からではない)
よって「線状性」を持つ。

ちなみに、下から上へ読む言語もあるらしい。

オガム文字

 

最後の「二重分節性」だが・・・
要するに、以下のように2回に分けて分解できるのでオッケー!

私の絵は「恣意性」「線状性」「二重分節性」の3つの約束事を守っている。
よって、私の絵は「言語」だ!

 

・・・と言うのはまだ早い!
あくまでも「言語」へと近づいただけ(言語になるとは一言も言ってない)

あとは人々に私の絵を普及させるだけ!

私が描いた以下の絵は「この荷物の受取人」の意味を持つ。

上記の絵を他の人が見ても
「この荷物の受取人」
の意味として認識できるようになれば、私の絵は「言語」になる。

具体的に言うと、(私を含む)二人以上が意味を理解できればよい。

 

逆に、世界中で私しか理解できないのであれば、それは「言語」ではない。
ただの「暗号」とか「でたらめに書いた模様」だろうね。

で、どれくらいの人へ普及されればいいの?

別に100万人の人へ広める必要は無い。
少なくとも(私を含む)二人以上が私の絵の意図を理解できれば良い。

 

なぜ「(私を含む)二人以上」なのか?

そもそも「言語」は人が他の人へ意思を伝えたい!
という欲求があって、作られた記号。

自分の意図を他の人へ伝えるのに、最低限必要な人数は(私を含む)2人。
私が生きている場合、私以外の一人が「絵」の意思を理解できれば立派な言語となる

 

そのためには、私が描いた絵が持つ「恣意性」「線状性」「二重分節性」
の3つの性質を理解したうえで、何万個もある単語や表現を覚える必要があるのだが・・・

だって、言語は「無限」の意図を伝えれるんだからね。

厳密に言うと「ピジン言語」にすぎない

私が描いた絵(=記号)を社会的に浸透させる

それができれば苦労しないんだよね・・・

 

例えば、私が描いた絵の意図が、奥さんも理解できるようになりました。
奥さんも、その絵をスラスラ描ける(=書ける)ネイティブです。

だから、私の絵は言語だ!
と言えるのだが・・・

 

厳密には「ピジン言語」じゃないかな?

自分と奥さんが生きている限り通用する「一時的な言語」
だと私は思うね。

私の言語を日本語と同レベルにすることはできるのか?

私が描く絵で、日本人の誰もが言語として意思を伝えたい!

つまり、私の絵(=言語)を日本語と同レベルまで浸透させる必要がある。

 

・・・それって可能なの?

日本人の母語は日本語。
学んでいる外国語は英語。

ただでさえ英語をマスターするだけでも大変なのに・・・
私の訳の分からない絵(=言語)を理解したいと思う?

 

私の絵を言語として取得したってメリットは無い
それよりも英語をマスターした方が給料が上がってお得。

 

そういえば、
「アイヌ語を守りましょう~」
っていう風潮が強い割には誰もアイヌ語を学ばないよね?

 

だったら、私の絵なんで誰も見向きしないだろうな。

私の絵(=言語)を学ぶ人は以下に限られる


・私の崇拝者
・語学マニア
・言語学者
・真の変わり者


という訳で私の絵(=言語)を学ぶ日本人は誰もいましぇ~ん

要するに?

自分が言語として描いた絵で、他の人へ(言語として)意思を伝えれる可能性はほぼゼロです。(直球)

 

絵描きの本で記載されている例文をもう一度、以下に挙げる。


・絵なら文字が無くても誰かに自分の意思を伝えれる!

・絵はコミュニケーションのためのもう一つの言語!


 

上記で述べている「言語」は、言語学における「言語」ではなく
どちらかと言うと「記号学」とか「美術的」に近い。

「ノンバーバル(非言語)コミュニケーション」とかあるよね。
ああゆう感覚で「言語」と使っているんでしょうね。

 

「言語」のことばの使い方が間違っている!けしからん!
と批判しているのではないです。念のため。

【オマケ】私が描いた言語としての絵の元ネタ

ペルシア語からとってきたの。
テヘッ!

「あぁ^~心がぴょんぴょんするんじゃぁ^~」のペルシア語訳を修正してみた

私の(言語としての性質を持たせた)絵

 

元ネタとなったペルシア語の例文
(の一部だけ切り抜き)

 

アラビア語と同様に、右から左に読みます。


発音:ギーランデイェ イーン バステイー
意味:(~する所の)この荷物の受取人


まとめ

3行で


1.「言語」の定義は絵描きと言語学で異なる

2.絵描きにおける「言語」はアーティスト感覚

3.言語学における「言語」は記号の集合体


人によって「言語」の定義の捉え方が異なる

世の中には、私みたいに言語学の知識がある変わり者がいる。

そういう人は、言語学以外の分野で書かれる「言語」に敏感。

プログラミング言語とかマジでやめちくり~
(ちなみにプログラミング言語は言語学の立場から見ても「言語」と言えそうなのだが・・・)

 

とりあえず、絵描きの人が使う「言語」はあくまでも比喩的ね。
ホンモノの言語の代用にはなれないからね。