漫画みたいにテトリスが強くなろう!という考え方は危険です

突然ですが、アナタは漫画に出てくるキャラクターのようにテトリスが強くなりたいですか?

漫画に出てくる人は、ドンドン強くなるよね?

だけど、漫画のキャラクターと自分を重ねて考えるのは危険だよ。




なぜ漫画のキャラクターはありえないほど強くなるのか?

漫画はあくまでも娯楽です。

読者をワクワクさせないと売れない。

だから作者は漫画のキャラクターをありえないスピードで成長させる。

そして強敵をドンドン倒していく。

 

・・・こういう状況を見ると何だかワクワクしませんか?

なんかオラ・・・すっげぇ、ワクワクしてきたぞぉ!

 

漫画っていうのは、読者に「ワクワク」を提供するモノなんです。

現実は漫画のキャラみたいに強くなれません

自分は特別な人間ではありません

漫画の主人公はどんどん強くなって強敵を打ち破る。

まるで主人公が特別な人間のように描写されている。

 

だけど、現実の世界はそうではない。

大学を卒業して社会人として働く経験した人なら分かると思うが・・・

私たちは漫画に出てくるような特別な人間ではありません!

自分が強くなる間に周りも強くなっている

自分が強くなる間に、周りの人も同じくらい強くなる。

下手したら、他の人の方が強くなっているかもしれませんよ。

そんな状況でライバルと戦ったらどうなる?

漫画みたいに強敵を倒せると思いますか?

結果は五分五分だろうね。

自分よりも努力する人は腐るほどいる

仮にアナタがものすごい努力をすれば強敵に勝てるかもしれない。

だけど、地球上にいる人類は2018年10月の時点で74億!

当然、アナタよりも努力している人間は世界中に腐るほど居る。

いくら努力をしても勝てない相手が現れるのは当然です。

私が漫画のキャラと同じように考えて痛い目に遭った経験

昔の私は

テトリスが強くなりたい!

と本気で考えていた。

その大きな理由が「ヒカルの碁」という漫画の存在だった。



そもそも「ヒカルの碁」ってどんな漫画なの?

「ヒカルの碁」の内容を簡単に言うと・・・


・最初は囲碁なんて全く知らない人だった

・囲碁の幽霊に取りつかれた

・主人公と同じ年齢で囲碁が超強い人がいた

・そういう人に勝つために、囲碁がどんどん強くなった

・最終的には囲碁のプロどころがトップ棋士まで行く


・・・という感じ。

主人公が普通の人間から特別な人間へと成長していく。

遂にはトッププレイヤーの地位までたどり着く。

これは少年漫画にありがちなパターンですね。

自分は漫画みたいな人間になれると勘違いしていた

今思うと、ものすごい恥ずかしい経験だが・・・

昔の私は

「ヒカルの碁」の主人公みたいにテトリスが強くなりたい!

と思っていた。

そう信じて毎日テトリスを何時間もプレイしていた。

結局はテトリスのトッププレイヤーになれなかった

テトリスをやりまくる生活を2年くらい続けていた。

テトリスをやればやるほど、

自分はテトリスが強くなっている!

っていうのがなかなか実感できなくなった。

それどころが、どうしても勝てない相手が次々と現れてくる。

 

自分はたくさんテトリスをやっているのに、なぜ勝てないの・・・?

その理由が全然分からなかった。

にもかかわらず、惰性のようにテトリスを続けていた。

いくらテトリスをやっても、強敵には勝てない・・・
自分はどこでもいる普通のテトラーだったんだ・・・

と悟った。

にもかかわらず、テトリスをダラダラ続けている自分に嫌気がさしてきた。

結局はテトリスを引退した方が幸せ

ある日、私はなんとなくテトリスをキッパリと止めた。

そしてテトリスなしの生活を送ってみると・・・


・嫌なテトリスの練習をしなくてもいい!

・どうしても勝てない相手のせいで落ち込むことがない

・「強いテトラーになる!」というプレッシャーが無くなる


テトリスをすっぱり止めると本当に楽になった。

それが幸せだと気づいた。

 

あれ以来、本気でテトリスをやっていた頃の私に戻ることは無かった。

自分は漫画みたいに強くなれません

テトリスのトッププレイヤーになるのは止めとけ!

今の私はテトリスをやっていない。

そして、テトリスを本気でやっていた時の時間は戻ってこない。

そのかわりにいろいろな「経験」をさせてもらった。

私が一番痛い思いをしたのが「トッププレイヤーを目指すな!」

トッププレイヤーを目指してテトリスをやるのは止めたほうがいい

「諦めない心」は本当に正しいのか?

子供の頃に先生や親から

・諦めないのが大切
・努力は必ず報われる
・自分で限界を決めるな!

と教わる。

少年漫画でも

「諦めるな!」

が決まり文句で、正義の言葉のように使われている。

 

若かった頃の私は、その言葉を100%信じてテトリスを必死にやっていた。

諦めずにテトリスを続ければ、いつかはトッププレイヤーになれる!

漫画のキャラも努力してトッププレイヤーになっているんだから、自分もできる!

 

だけど、そういう考え方は危険ですよ。

「諦めない」=他の事を犠牲にする

いくら努力しても、どうしても勝てない相手がゴロゴロいる。

そんな状況で、漫画の主人公みたいに勝とうとすると・・・

ものすごい努力が必要になる。

 

ものすごい努力をするためにはどうすればいい?

答えは簡単。

自分の生活を犠牲にすればいい。

例えば一日15時間テトリスする生活を一カ月続けて、やっと勝てるようになった!

 

・・・それでいいの?

アナタの生活は大丈夫なの?

時には「諦める」という決断も大切です

少年漫画では「諦めるな!」が正しいとされている。

だけど、「諦めろ!」も場合によっては正しい判断になる。

 

強い相手に勝つ!

を言い換えると、他の事を犠牲にしないといけない。

強い相手に勝つ事に対する見返りはあるんですか?

テトリスの場合はトッププレイヤーになっても1円も出ないよ。

テトリスのトップになれば1億円もらえるんだったら、私もテトリスを続けていたかもしれない。

だけど、実際は1円にもならない。

 

コスパの面で考えると・・・

強い相手に勝つよりも、さっさと負けを認めたほうが良い。

そして、テトリスをやる時間を他の事に充てたほうが良い。

 

私の場合はテトリスを引退してブログを書いている。

ブログで1カ月あたり一万円以上稼いでいるよ!

必死にテトリスをやって「0円」よりも、ちょっとだけブログを書いて「1万円」の方がはるかにコスパがいいよね?

だからね・・・

漫画のキャラクターと自分を重ね合わせるのはもう止めたほうが良い。

テトリスを諦めたおじさんからの貴重なアドバイスだぞ!

漫画の主人公よりもザコキャラを目指せ!

私のテトリスの強さをヒカルの碁で例えると?

テトリス「ヒカルの碁」を知っている人だけのネタになる。

今の私のテトリスの強さを「ヒカルの碁」で例えると将棋部長の加賀(かが)くらいじゃないかな?

加賀の囲碁の強さを説明すると


・一般人相手ならほぼ無敵
・普通の囲碁部員なら圧勝
・でも囲碁の名門校には勝てない


テトリスを囲碁で例えたら、私は院生試験に受かるかどうかも怪しいんじゃないですかね?

要するに私や加賀はザコキャラです。

漫画のザコキャラの方が幸せ

私はテトリスのトッププレイヤーから見れば「ザコキャラ」

漫画の主人公に一撃で倒される存在。

だけど、そんな私は幸せですよ。

だって、テトリス以外にも色々と楽しい事がありますから。


・ブログを書く
・海外旅行
・国内旅行
・語学


最近はこんな記事を書くのにハマっているよ!

色々な言語で翻訳された「こころぴょんぴょん」の一覧

「ザコキャラ」としてのテトラーを目指そう

漫画の主人公は、他の全ての事を犠牲にしてまで強くなった。

それはそれで幸せかもしれないが・・・

 

ザコキャラはハッキリ言って弱い。

言い換えると、ほかの事を犠牲にしてまで強くなる必要がない。

自分の好きな事もやり放題。

そんな人生も幸せだよ。

「~になるぞ!」で考えると、ザコキャラの方がはるかに楽。

アナタもそういうザコキャラのテトラーを目指してみませんか?